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 妥協策として行ったのが、主に果物を、箱1個というような単位でどさっと差し入れするということだった。 

 私の父は農業経済を研究し、日本全国の篤農家を訪ね歩いていた。仕事の一環として、全国の優れた栽培技術を持つ人々をつないで相互の交流を促進していたのである。父の没後はその人脈を母と妹が引き継ぎ、産地直送で、普通にスーパーで買うよりもずっとおいしい果物やら野菜やらを買っていた。 

 そこで全国の篤農家の方々から果物を箱買いし、そのままグループホームに「皆さんで食べてください」と差し入れする。数が多いので、18人の入居者全員に回り、さらに食事を共にするスタッフも食べることができる。

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 これはかなりの当たりだった。何よりも日々「まずい」と主張していた母の自尊心が満足した。まだ母は、「どこの誰さんが、どんな作物を作っている」ということを覚えていた。 

 どんと箱で差し入れすると、母はスタッフに向かって自慢する。「これは、どこそこの誰さんが作ったおいしーい果物なのよ」と。もちろんスタッフは「そうですか、すごいですねえ」と聞いてくれる。 

 おそらくは「まずい」という主張の底に、多分に「自分を認めてほしい」という欲求があったのだろう――そう私は想像した。 

 もちろんどれもこれも根本的な解決策ではない。根本的に解決したければ、専任のシェフがいるような高級老人ホームに入居するしかなかろう。そんな資金は、母にも我々にもない。 

 それどころか、認知症は時として味覚の変化も伴うものだから、どんなに頑張っても母の「まずーい」は止まらないのかもしれない。 

 その場だけしのげればいいのだ―そう考えることにした。一時しのぎでも一息はつける。一息つければ、次に問題が押し寄せてきた際にも対処する余裕を持てる。これを繰り返していくしかないのである。

あれ? 食事がおいしくなってきた! 

 ところで後日談。グループホームに鰻折り詰めを届けて母に食べさせ、自分はグループホームの食事を食べているうちに、徐々に食事の味が向上していることに気が付いた。 

 種明かしをしてくれたのは、母が入居するユニットのスタッフリーダーを務めるOさんだった。 

「面と向かって大きな声でまずいっと言われるとですね、僕らもやっぱり悲しいし傷つくわけです。でも、そのうちむらむらと反抗心が湧き起こりましてね。なんとかして松浦さんにおいしいと言わせてみよう、と随分とみんなで色々とやってみたんです。レシピを調べたり調理法を工夫したりですね。それで、ここまで来たんです」 

 結局のところ、グループホームにおける入居者の満足は、働くスタッフ一同の不断の努力の上に成立しているのであった。