「Sさんね、『ボクは家に帰るよ』と言って出て行ったの」
えええ? である。母はSさんの退居を認識していたのか。そしてそのことを覚えていたのか。「そうなの?」と問いかけると、「そうだったの」と母は返事した。
しかし、そこまでだった。そのまま諸々のことをごちょごちょと話すうちに、「Sさんが結婚しようと言ってくれた」と始まり、いつもの母に戻ってしまった。
最後の挨拶
どうやら母の中では、ひとつの時間軸に統合されない記憶が、ばらばらにとっちらかった状態で転がっているようだ―そう感じた。個別に切り離された記憶が、ランダムに意識と無意識の間を回遊している。そのうちの1つがたまたま起き抜けの母の自意識にぽっこりと浮かび上がり、「Sさんね、『ボクは家に帰るよ』と言って出て行ったの」という言葉になったのではないだろうか。
多分これは本当にあったことなのだろう、と思った。「ボクは家に帰るよ」という言葉を母は、Sさんの話し方、Sさんのイントネーションで再現したからだ。おそらくは身体の苦痛をこらえつつ、Sさんは母に最後の挨拶をしたのだ。
その時、Sさんの裡(うち)に去来した感慨はどんなものだったろうか。母との時間は、Sさんにとっても良いものだったろうか。
わからない、もう知ることはできない。
残された我々は、ただ「Sさんは、母とのかけがえのない時間を抱えて去って行ったのだ」と考えるしかないのだ。
例によって事態を見事に総括したのは妹だった。Sさんが亡くなられたことを伝えると、彼女は「うん、それでもこういう時間を持つことができたのはふたりにとって良いことだ ったんじゃないかね」と言った。「人生の最後に、ティーンエージャーみたいな甘い時間を過ごすことができたんだからさ」。
そして、私は気が付いていなかった。
後から考えれば、この「Sさんが結婚しようと言ってくれた」は、この直後に起きる新たな認知症の症状の前兆だったのである。