女としての母を見る
2月、3月と、私は面会のたびに「よかったね、おめでとう」と言い続けた。
それにしても――なんとまた母は「女」であったことか。
自分は母を「自分の母親」としてしか認識していなかった。しかし母親としての肖像の背後には、女性として生まれ、成長し、女性として自分の人生を全うしようとしたひとりの女としての存在があったのだ。
女としての母を、母の人生の最後近くなって目の当たりにすることになるとは、思ってもいなかった。
結婚という言葉が出てきたことから、若いころの母にはそれなりに強い結婚願望があったことが推察できる。それは社会的に強制されたものというより、「女としての人生を全うした」という本能に近いものだったのだろう。だからこそ母の人生を通じた底流として身体の奥底で生き続け、父に先立たれ、グループホームでSさんに出会ったことで、一気に浮上したのだろう。
前年の秋、スタッフのCさんから「松浦さん、Sさんと手をつないで出かけていきましたよー」と聞いたことを思い出した。Sさんと手をつないで秋の日差しの中を歩く母の心のうちはいかがなものだったか。ひょっとして思春期の身もだえしたくなるような気恥ずかしさとうれしさが、ぐるぐると回っていたのではないだろうか。
3月初旬だったか、私はKホーム長から、「Sさんが亡くなられたそうです」と告げられた。
「やはりそうでしたか」と嘆息する。「退所したと聞いたとき、そうなるのではないかと思っていました」と返事すると、Kさんは「そうですよねえ」と答えた。後に言葉が続かない。ひとときの縁があった方の訃報には、心中で手を合わせることしかできないものだ。
母にSさんの訃報が伝わったのか、私は尋ねなかった。Kホーム長以下スタッフの皆さんも私には話さなかった。おそらくは、母には何も言わなかったのではないかと思う。
それでも、何か母に伝わるものがあったのかもしれない。Sさんの訃報を聞いた少し後、面会で母の居室に入ると、母は昼寝をしていた。「来たよ」と声を掛けると、目を開ける。
深く眠り込んでいたわけではないようだ。
「Sさんね……」、ああ、またかと思った私は、続く言葉に驚くことになる。