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「Sさんがね、結婚しようと言ってくれたの」 認知症の母がまさかの恋…息子も驚く“思春期のような恋”の行く末は

『母さん、ごめん。2――50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』より#2

2022/07/21
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Sさんの病気が悪化した

 2017年の秋が深まるあたりから、Sさんの変調が目立つようになった。元気がなくなってきたのだ。最初は一時的なものかと思ったが、むしろ状況は悪化しているようだった。

 プライバシーに関わることなので、基本的にホームのスタッフは他の入居者のことを別の入居者の家族には話さない。が、Sさんの体調は無関係とは言えないと判断したのだろう。そっと話してくれた。「Sさんですが、進行する病気を抱えているんです」。

 それは……なんともいえない気分に襲われた。いつか終わりが来ることはわかっていた。 

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 わかっていたが、あまりに早すぎるではないか。せめて1年ぐらいはこういう時間が続けばいいと思っていたのに。 

 12月に入るとSさんの状態はますます悪くなった。ところが、母は状況の変化が理解できない。いままでと同じと思ってSさんに話しかけるが、Sさんは身体的な不調で母の相手をするのも難しい。そこで母が怒る。

 私は「この前は、ちょっとけんかみたいなことになって……」とスタッフからの報告を受けるようになった。とはいえ何かができるわけではない。母と話をすると相変わらず「Sさん、Sさん」である。けんかになったことの記憶は残らないのだ。

 クリスマスイブの日、ホームでは入居者全員に家族が参加してのクリスマス会が開かれた。歌を歌い、ちょっとしたプレゼントを交換し、ケーキを切って食べる。

 その席に、Sさんは出席していた。出席していたが、参加はしていなかった。うつむき、何か身体の中で膨れ上がる不快感か痛みかにじっと耐えている風だった。これが私がSさんを見た最後となった。

 大晦日、Kホーム長に「お餅をつきますから、力仕事を手伝ってください」と言われてホームを訪問する。そこにはもうSさんはいなかった。

「Sさんは、治療で入院するために退居しました」とKさんから告げられた。

 ああ、これが最後か、と私は予感した。「治療のための入院」といっても、退居するということは、1:それなりに治療が長引くか、2:そもそも治癒の見込みがなくて苦痛の緩和のために入院するか―のどちらかだ。いずれにせよ、Sさんがこのグループホームに戻って来ることはもうない。