そう、よかったね……。
母はといえば、別に変わった様子もなく、屋外に出した椅子に座って餅つきを眺めている。Sさんとの別離を理解しているのか理解していないのか、私にはわからない。「元気なおばあちゃんスタッフ」Cさんが、「松浦さん、もっと積極的に散歩で歩いてくれるといいんですけれどねえ。最近はあまり歩きたがらなくて」という。確かに年初、このグループホームに入居したときと比べて、明らかに脚がおぼつかなくなっている。
他人事ではない。母もまた最後の時に向かって歩んでいるのだ。
正月は、ドイツから一時帰国した妹一家がおせち料理を詰めた重箱を持ってホームを訪問した。すっかり背が高くなった一番上の甥っ子から、まだ小学校入学前の末の姪っ子まで、母を囲んでにぎやかな正月を演出する。末の姪っ子は傍若無人にホームの中を走り回り、「かわいい、かわいい」とすっかり入居の方々からアイドル扱いを受けたそうだ。我が家の老犬ロンロンと同じだ。
18年が始まり、Sさんはいなくなったのに、相変わらず母は「Sさん、Sさん」と、Sさんの話を繰り返している。
それが何月何日のことだったかは記録していない。確か1月の後半で、私が面会に訪れた時、母は疲れたといって自室で横になっていた。その状態で、母の口からだしぬけに「Sさん、結婚しようと言ってくれた」という言葉が出て来たのである。
多分、自宅で母の介護をしているときだったらば、私は「何をバカなことを言っているの」と母を叱りつけ、反発した母とけんかになっていただろう。しかし、グループホーム入居からほぼ1年が過ぎ、その間スタッフの応対を見聞してきた私は、とっさに「そう、よかったね」と言うことができた。
これは妄想だ。と、私は判断した。なぜならその言葉の後が続かなかったからだ。結婚は恋愛の成就である以上に、社会的な事業だ。その言葉が本当なら、結婚に伴うあれこれの手続きの話が続く。しかし、母は「結婚しようと言ってくれたの」と繰り返すばかりで、話が具体的な内容に進むことはなかった。毎週の面会のたびに、母は「Sさんが結婚しようと言ってくれた」と話し、私はそれにうんうんよかったね、とうなずくことになったのである。
Kホーム長に相談すると「いや、わかりませんよ」と言われた。「おふたりの間で、何か言葉があったのかもしれません。それは私たちが踏み込めることではないです。ただ、いまの状態としてお母さまは、Sさんが“結婚しよう”と言ってくれたと思っている。私たちはその気持ちを大事にして、いまここでの生活を心安らかに過ごせるように努めるだけです」。
そうなのだ。「日々を心安らかに過ごせるように」というのは、我々家族の願いでもあるのだ。だから私も、母の言葉を受け入れねばならない。「結婚しようと言ってくれたの」と飽くことなく繰り返す母に「そうなんだ、よかったね」とほほ笑み返していかねばならない。