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小島秀夫が観た『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

2017/12/31

genre : エンタメ, 映画

note

キャラクターの配置が現代的である理由

 ルーカスと『SW』による映画の革命の後に、今の全ての映画はつくられ、映画のビジネスが成立している。

 最新のVFXを使って、いかに新しい表現を模索しても、それは40年前の革命の枠内にある。ミレニアム・ファルコンの実物大セットを作って臨場感を追求したと言っても、すでにエピソード4の時代に作られている(この時は右半分しか作られなかったが)。真の意味での技術的な革新は起きていないのだ。

 世界や人物、メカニックなどのデザインも、SWのフレームに収める必要があるので、1作目の時のように斬新で、真の意味で新しいものは作られない。さらにプロジェクトとして、本編とスピンアウトをそれぞれ隔年で交互に公開しなければならないのならば、一人のクリエイターが、すべてに関わることも難しい。複数の監督が、SWという宇宙の法則を守り、それでも観客を飽きさせない映画を作っていかなければならないのだ。

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©2017 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.su

 この難問に、『最後のジェダイ』は、果敢に挑戦している。そういう意味で、脚本と監督を務めたライアン・ジョンソンは見事な仕事をしてくれた。すでに達成された革命の線上で何ができるか、何をすべきなのかを考えた結果が、21世紀の現在においてSWをそれぞれのキャラクターの継承と交代の物語として語ることだったのだ。

 そのため、キャラクターの配置も現代的である。

 ヒロインのレイはもちろん、レジスタンス軍の上官がレイアたち女性であることや、フィンのバディとして活躍するアジア系のローズという女性など、ルーカスのSWがつくられた時代では見られなかった、ジェンダーやマイノリティーについて熟考されている。

ディズニー映画の傾向との類似点

 革命や政治を語るのではなく、現代の観客が日常で感じ取っている社会的な問題に目を向けている。女性は救いを待っているお姫様ではなく、自ら武器を持って立ち上がる戦士なのだ(これは、近年のディズニーのプリンセスものが、王子様を待つだけではなくなったこととシンクロしているように思える)。

 さらにレイの出生の秘密が明らかになると、本作と、この新3部作が語ろうとしているテーマが浮上してくる。

 レイはかつてないほどのフォースの持ち主だが、彼女の両親はジェダイでもなく、普通の人間だったことがわかる(次作以降で語られる真相は異なるかもしれないが)。カイロ・レンがハン・ソロとレイアの息子で、ルークがダース・ベイダーの息子だったこととは違うのだ。レイは「姫」ではない。

 アナキンの出生に似ているが、事情は少し違う。アナキンの場合は、「父親がいない」と語られ、フォースの能力に恵まれているのも、体内の微生物(ミディ=クロリアン)の数が生まれながらに多かったからだったとされる。つまりアナキンの出生も、謎めいて神話的で、特権的なものだった。