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「気づきの壁」とは、「やってみた結果がどういう意味なのかがわからず、タグをつけ間違える(またはつけられない)状態」です。

 気づけるようになるには、「適切な視点(仮説)」が必要になります。

 アシトの場合、前出のように冨樫の手本を見たことで、「止める目的は、次にボールを動かしやすくするため?」という仮説が生まれ、「気づきの壁越え」に成功したわけです。

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「止めて、蹴る」の意味がわかったアシトは、こうつぶやきます。

「すげえ...ボールをきちんと止めるってことは、ここまで大事なことやったんか。だって、それがわかっただけで、こんなにも『サッカー』が広がった!!」

©小林有吾/小学館

「わかる」と「できる」の違い

「気づきの壁」の次にくるのが「技術の壁」です。

「わかる」と「できる」の間にある「わかっちゃいるけど技術や手法が追いつかない」という状態。平たく言えば、練習不足です。

 ここでも、アシトがディフェンダーに転向したばかりのシーンで考えてみます(7巻67話)。

「上がるも上がらないも...自分1人じゃ決められねえ。『絞り』の加減も...さっぱりわからねえ。俺の性に合わねえ...何より全然、面白くねえ!!『意味』なんてわからねえ。こんなもん俺に、できるわけがねえ!!!くそオオオッッ!!!」

©小林有吾/小学館

 このセリフは「やってみたけど、わかっていない」状態。まだ「気づきの壁」を越えられずにいます。そのあとBチームで成長し、Aチームに上がって動きの速さに困惑したアシトですが、練習を見ていた栗林から、「どこに出せばいいのかはわかっていた。ただ技術が追いついてないだけって感じだった」と指摘されます。

©小林有吾/小学館

「この人達の速さ...これって...考えてなんかなくねえか?」と気づいたアシトは、パス回しの練習で「ずっと鬼(ディフェンス役)」を志願、頭に浮かんだある仮説を試します。

©小林有吾/小学館
©小林有吾/小学館

繰り返しチャレンジすることで、体の動かし方の感覚をチューニングしていって小さな成功体験をゲット。福田監督は、「無闇な根性」なら認めない気でいましたが、仮説を持って試行するアシトに気づき、「できる」ようになったのを見届けて「グッド」とつぶやきました。

©小林有吾/小学館

「わかる」と「できる」には、これほど大きな壁があります。

 最ももったいないのは、「試しにやってみたけどうまくいかない。自分には向いてない」と判断してしまうこと。もしディフェンダー初体験のアシトが「俺の性に合わねえ!」と思った時点で進むのをやめてしまったら、そこで終わってしまうわけです。

 スポーツをやったことがある人なら、ビギナーがいきなりうまくできるわけがないのは当たり前だと思うはず。でも、なぜか仕事になると、練習もしないでぶっつけ本番をやって、うまくいかなかったら「向いてない」と1度や2度であきらめてしまう人が少なくありません。