大学卒業後、中堅の証券会社へ入社。8年後に準大手証券へ歩合制の外務員として転職。一時期は正規の仕事の他に自己売買に手を出し、数億円の利益を出すなど、収入面で華々しいキャリアを築いていた男性が、いまは新大久保の個室ビデオ店員として日々を過ごしているという。当人は現状をどのように捉えているのだろうか。

 ここでは、ルポライターの増田明利氏の著書『今日、ホームレスになった 大不況転落編』(彩図社)の一部を抜粋し、男性の半生を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

生活が足元から崩れていったバブル崩壊

 向こうが西新宿になるんだな、でかい建物が見えるだろう。いちばん右側がセンチュリーハイアット(現・ハイアットリージェンシー東京)、都庁の前は京王プラザ、左側の奥がパークハイアット。昔はよく泊まったんだよ。1泊3万円ぐらいの部屋でもカプセルホテルみたいに使っていた。

 上の階から下を見ると人間なんて蟻んこみたいに見えるんだ。コーヒーなんか飲みながら忙しなく動き回っている人間を見て「俺はこいつらとは違うんだ」と悦に入っていたな。

 何をやっていたのかって? ……株ですよ、株屋。証券会社の外務員をやっていたんですよ。27年も株の世界で生きてきて、一時はサラリーマン3人分の生涯賃金と同じくらいの金を手にしていたけどバブル崩壊で俺の生活も足元から崩れていった。

©iStock.com

実力を磨いて中堅、大手に移るのか、金を残すのか

 大学を卒業して就職したのが77年です、オイルショックの直後でした。大学といっても新設の三流大学ですから大手企業は門前払い、金融志望の三流大学出身者を採ってくれるのは中小の証券会社だけでした。

 就職したのはD証券という中堅の証券会社でした。社員100人、店舗5つの小さな会社だったけど面白い人が多かった。この業界で5年飯を食えば世の中のことが分かるって言われたし、別の先輩からはうちで実力を磨いて中堅、大手に移るのか、金を残すのか早いとこ決めておけよなんて言われましたね。俺は金を残す方を選んだんだけどね。

 D証券には丸8年勤めて辞めました。理由はもっと稼ぎたかったから。給料もボーナスもけっこう良かったけど大手や準大手と比べると明らかに差がありました。それに社員でいる限り、いくら利益を出しても一定の割合でしか貰えません。D証券にも契約制の外務員がいたけど、俺と同じくらいの商い高で3倍以上の収入を得ていたからね。俺ももっと高い報酬が欲しかった。