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「自分はそこまで堕ちるとは思っていなかったけど…」キャバクラ店員の証言で振り返る新型コロナが歌舞伎町に与えた“恐るべきダメージ”

『今日、ホームレスになった 大不況転落編』より #1

2021/11/06
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 ワクチン接種が進み、新型コロナウイルスの新規感染者数が減少を続けている。飲食店の営業制限緩和を始め、徐々にではあるもののこれまでの日常風景が戻ってきたと感じる人は多いだろう。そこで気になるのが、感染拡大当初、真っ先に行政の批判の矛先となった“夜の街”の現状だ。彼らは当時から現在に至るまで、いったいどのような思いでいたのだろうか。

 ここでは、ルポライターの増田明利氏の著書『今日、ホームレスになった 大不況転落編』(彩図社)の一部を抜粋。歌舞伎町のキャバクラで10年以上スタッフを務めてきた男性の証言から、新型コロナウイルスが歌舞伎町に与えた影響を垣間見る。(全2回の1回目/後編を読む)

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とにかく豊かになりたかった

 2020年の10月に入って、歌舞伎町もどうやら最悪期を脱したと思う。9月半ば過ぎから人出が増えたと実感します。まだ2019年の6割程度だけど、ほとんど人通りのない歌舞伎町を見てきたから、その時期に比べたら賑わいが戻ってきたと思う。本当に一時はどうなるんだとやきもきしていたからな。

 今は新宿区のマンションで暮らしていますが生まれは山口県の片田舎です。地元の高校を卒業したあとは県内の観光ホテルに就職してベルボーイ、室内整美、宴会場係などをやっていました。でも給料は安かったし、つまらなかった。我慢したけど5年勤めたところで退職しました。もっと稼ぎたいと思ったから。

 とにかく豊かになりたかった。母子家庭で、はっきり言えば貧乏だった。母親を楽にさせてやりたいといつも思っていました。だけど学歴エリートでビジネス界で出世するなんて無理。とびきりの男前なんかじゃないから俳優やタレントで成功するというのも現実的じゃない。野球、サッカー、格闘技で成功して大金を稼ぐのも不可能。だったら水商売や風俗に行って稼ぐのが手っ取り早いと思ったんです。

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ボーイから始め、辞めるときは副店長まで昇進

 東京に出てきたのは10年の5月だった。西武新宿線の中井という駅の近くに部屋を借り、3ヵ月間は定食屋とかエスニック料理店でアルバイトして東京に慣れるようにしたんです。田舎者と馬鹿にされないようにね。

 歌舞伎町で仕事を始めたのはその年の9月からです。キャバクラのボーイがスタートだった。初任給は諸々の手当を合わせると30万円ほど。田舎じゃ考えられない金額だった、ここで一旗揚げたいと思ったよ。

 仕事はきつかったしキャバ嬢の中には性格的に歪んでいたり常識がなかったりする子も多くて、人間関係も複雑なんだけど、やれば結果が付いてきた。ペーペーのボーイからリーダー、フロアリーダーって階段を上れば給料も増えた。歌舞伎町では頑張ったら結果が出せる。だけどやらなかったら埋もれてしまう、人の倍努力しないと歌舞伎町では生きていけません。そう思う。

 最初の店には約5年勤めました、辞めるときは副店長という肩書で収入は月50万円以上あった。毎月10~15万円母親に仕送りできてね。生活が楽になったと言われるともっと稼いでやろうと思ったんだ。