高野 アイドルのキャリアは、すごく短いんです。それなのに、「芸能活動以外で自分にできることがわからない」という子は少なくない。特に、小学生や中学生の頃からアイドルをしている子は、学業や部活、友だちと遊ぶことよりも芸能活動を優先してきたから、アイドル卒業後は悩むと思います。
「元NMB48」の肩書きはすぐに使えなくなって……
――ご自身はNMB卒業後、タレントとして芸能活動を続けます。
高野 高3でアイドルデビューした私ですら、芸能界以外の選択肢がわからなかったんですよね。でも、決して消去法でタレントになったわけではないので、気持ちを新たに頑張りたいと思っていました。
――タレントとしての活動方針などは考えていたのでしょうか。
高野 NMB48の頃は一番年上ということもあって、MCを任されることが多かった。その時に「人前でしゃべるのは好きだな」と思っていたんですよね。だからタレントになって、バラエティ番組のMCや、芸人さんのアシスタントをしたかったんです。
タレントに転向した直後は、「元NMB48」の肩書きでお仕事をいただいていました。でも、その肩書きはすぐに使えなくなったんです。AKBグループの卒業生はたくさんいるから、徐々に周りと差別化できなくなってしまった。
NMB48の時から自分の個性や強みがわからなかった私は、そこで壁にぶつかってしまって……。事務所の人にも、「何か強みを作ったほうがいいよ」と言われていました。
夢中になれるものが見つからない中、勧められた日本酒の仕事
――それで、日本酒を強みに?
高野 いや、日本酒にたどり着くまでにも紆余曲折ありましたね。最初はスポーツを強みにしようと思ったんです。学生時代はバドミントンをやっていて、大阪府の大会で優勝したこともあるし、体を動かすのは好きだったから。タレント活動と並行して、筋トレをしたり、ボルダリングをやったり……。私のInstagramを見返すと、鍛えている画像をひたすらアップしている時期がありますよ(笑)。
でも、仕事につなげられるほどの“スポーツ好き”ではなかったんですよね。SNSへの筋トレ投稿も毎日は頑張れなかったし。そもそも芸能界には、スポーツ好きの人がたくさんいて、ライバルも多かった。
その後もいろいろやってみたけど、心から夢中になれるものも、誰にも負けない“自分だけの強み”と呼べるものも見つかりませんでした。そんな中、当時お世話になっていたスタッフさんが勧めてくれたのが、各地の酒蔵をめぐる日本酒のお仕事だったんです。
写真=三宅史郎/文藝春秋
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