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《私は蝶が何をしゃべっているかわかった》作家・夢枕獏も驚いた“俳句の先生”夏井いつきの「ゾーン」

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 夢枕 下着から靴から、一式揃えましたよね。

 夏井 大枚はたきましたよ! その一度の買い物でプラチナ会員みたいなのになっちゃって……(笑)。でもね、装備の買い出しに行くところから「吟行」だから。

 夢枕 そうか。俳句を作る旅は始まっているんですね。

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 夏井 「靴下の厚みが全然ちがう」、「靴はこんなふうになっているのか」とか、買い物するのも俳句の材料を仕入れているようなものなんです。だから楽しくて楽しくて。

“ゾーン”に入ったら「じーっと動かない」

 夢枕 はじめてのワカサギ釣りはどうでした?

 夏井 本当に感動しました。1日目は真剣に釣って、疲れたらテントに用意してもらった鹿肉のシチューやホットワインなんかも楽しんで。

ワカサギ釣りを楽しむ夏井さん(右)と息子の家藤さん

 夢枕 “贅沢な大人の遊び”という感じですよね。でも夏井さんはやっぱり、ひとたび俳句の“ゾーン”に入ったら集中力がすごかった。それまで楽しそうに釣りしてたのに、句帳を片手に背を向けて、じーっと動かない。雪がどんどん降ってきてもおかまいなしでしたよね。

 夏井 2日目は、獏さんたち釣り人の周りをぐるぐる歩きながら、ひたすら俳句を作っていましたね。一面氷の張った湖の向こうには林があって、その上空をオジロワシが飛んでいた。行った場所で直接季語に触れて、何かを仕入れて帰ってくるというのが俳句の愉しみなんですよ。

 夢枕 僕は3日間、朝から晩まで釣り三昧だったなあ(笑)。

 夏井 でも、入院中は集中的に俳句を作ってたんですよね?

病気のことは小説に放り込めなかった

 夢枕 そうそう俳句の話でした(笑)。今回、病気になったタイミングで、これまで細々と続けていた俳句をきちんとやろうと思って。病気のことも書き残しておきたかったですし。俳句を詠むこと、それから俳句についてのエッセイを連載することの二つで、なんとか生きている時間を実感していました。その連載が、『仰天・俳句噺』(小社刊)という本にまとまりました。

『オール讀物』の連載が一冊になった『仰天・俳句噺』

 夏井 そうだったのですね。病気のこと、小説で書き残そうとは思わなかったんですか?

 夢枕 そうですねぇ……。小説はもう40年以上書いていますが、そこにうまく放り込めなかったというか、技術がまだなかった。俳句のほうが早いかな、とも思ったんです。でも実際は、全然そんなことなかった。俳句という山にどこから登っていいか見当もつかないし、恐ろしい道に迷い込んでしまったなと思いましたよ。

 夏井 何が一番難しかったですか?