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〈プロ転向〉羽生結弦「がんばるっていうのは僕にはもういらないんだよ」叔母やコーチが証言する“ヤンチャ坊主”だった少年時代

練習嫌いだったが「怖がるということを全くしない子」

「そういうストーリーが彼をもっとやる気にさせるというか、モチベーションにしているところもあると思います。ファンやマスコミが盛り上がっているのを、自分のモチベーションを上げていくものとして使っている感じがする。普通だったらプレッシャーに潰されると思うんだけど、それを力に変えられるのは彼のすごいところ」

 

 そう語るのは、羽生がフィギュアを始めた4歳から、小学校2年生まで指導した山田真実氏だ。

 仙台で生まれた羽生は、中学校教諭の父と、パート勤めの母、4歳上の姉との4人家族。姉のレッスンに母と付き添っていったとき、初めて貸しスケート靴を履くと、リンクをいきなり駆け出したのだった。転んでも、すぐに立ち上がってまた駆け出す。

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「ほかのスポーツをしていてもある程度のところまでいったと思います。独特の運動神経というか、動物的というか。怖がるということを全くしない子で、加減がわからないから、結局何かにぶつけて骨折しちゃったり。勢いつけてやってしまうみたいな感じがあって、普通はそこまでできないよなと。怖がらないことと、動きが速いこと。この子もしかして、と私の勘にピンとくるものがありました」

 だが、当時の羽生は練習嫌いだったという。

「とにかく集中力がなかった。まるでゼロ。『いい加減にしなさいよ。もうすぐ試合なんだから、ちゃんと練習しなかったらプログラムを踊ったときに形にならない』とよく言ってました。のちに結弦が雑誌で『一番最初の先生が厳しすぎてスケートが嫌いになった』って話してたので、会ったときに『お願いだからやめてよ』と言ったら『ごめんなさーい』とか言ってましたね(笑)」

 その一方、幼い羽生には、すでに一流の“表現力”が備わっていたという。

子供の頃からクサいセリフを吐く感じだった

「転倒して、痛かったりしますよね。その痛さの表現の仕方が、本当はそこまででもないのに、『僕は痛いの!』とアピールするタイプ。怒られたときも『僕はものすごくダメージを受けてます!』というヘコんだ感じを目一杯表現する子でした」

 平昌五輪でのショートプログラムの演技を終えた際には、口を大きく動かして、「ただいま」と客席に伝え、プーさんのぬいぐるみの雨を降らせた。

連覇を決め、おどける羽生

「インタビューも少女漫画のよう。王子様がそのまま出てきたかのようなクサいセリフを吐いていて(笑)。でも昔からなんですよ、子供の頃からクサいセリフを吐く感じで。私はそういうのが嫌いで、『何言ってるの、そういうこと言う前に練習しなさい』と。でも独特のあの世界がスター性のあるこの競技には必要なんじゃないかと思います。だからいい先生に巡り合えたなと。私のままだったら、彼のあの雰囲気は生まれなかった。

 やっぱり彼は失敗しようが何をしようが、華がある。独特のおば様キラーというか、彼の性格もあるだろうし、コーチも含めて周りに恵まれたことも含めて、いろんなことがうまくいった結果だと思います」