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北京五輪はコーチではなく母が帯同…トロント2人暮らしでも「携帯なし、外出なし」羽生結弦”母子愛”〈プロ転向を発表〉

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 7月19日、都内で記者会見に臨んだフィギュアスケーター・羽生結弦(27)は、注目されていた去就について「プロのアスリートとしてスケートを続けていくと決意」したと語った。これからは競技会に出場しないが、プロスケーターとして4回転半ジャンプへの挑戦を続けていくという。

“ごく普通の家庭”で育ったという羽生は、なぜ世界トップスケーターになれたのか。最愛の母・由美さんと二人三脚で歩んだアスリート人生を詳報した「週刊文春」の特集記事を前編・後編にわたって特別に公開する。(初出:週刊文春 2022年2月17日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

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 ソチ、平昌、北京。羽生結弦の傍らには、彼を愛した4人の女性がいた。別れの道を選んだ人もいれば、自らの夢を諦めた人もいる。そして“ラストダンス”まで支え続けたのは――。誰も書かなかった「絶対王者」の物語(全2回の2回目/#1から続く)。

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トロントでの母子の二人暮らし「携帯を持たず、外出もしない」

 トロントでは、母子の二人暮らし。自宅マンションとリンクのあるスポーツ施設「クリケットクラブ」を往復する毎日だ。練習を終えると、スケートの動画を見ながら、フォームのチェックをする。ただ、相手はコーチではない。フィギュア経験は一切ない由美だ。羽生は「意外な視点が役に立つんです」とその理由を語っている。

 10代後半の年頃だったが、携帯電話も持たず、母と二人、フィギュアに専念する日々。クリケットクラブで共に練習していた3歳上の中村健人は、羽生と出掛けることはなかったという。

「仲間のハビ(羽生の元ライバル、スペインのハビエル・フェルナンデス)とは、ピザ屋に行ったりアイスを一緒に食べたり、よく出かけました。でも、結弦は全ての時間をスケートに注いでいた。その結果、彼は誰も成し得なかったことをやってのけたのです」

18年の平昌五輪で女子選手に囲まれて

エゴサーチをするタイプ、噂の的だった“髙橋大輔との仲”

 14年2月、羽生は初めて挑んだソチ五輪で金メダルを獲得。3月の世界選手権でも初優勝を果たす。

 そうして羽生が頂点に立ったのとは対照的に、メダルが期待されながらもソチ五輪では6位に終わったのが、髙橋大輔だ。結局、髙橋はこのシーズンで現役を引退する(後にアイスダンスに転向)。日本の男子フィギュアを牽引してきた髙橋だけに、彼のファンがネット上で羽生を攻撃し、羽生ファンが応酬するというバトルも珍しくなかった。

「羽生は意外にも『2ちゃんねる』のような掲示板を見たり、エゴサーチをするタイプ。『あれを見て悪い所を直したらいい』と口にすることもありました。一方で、ファン同士が中傷し合う書き込みに心を痛めたりもしていた。そうしたこともあり、髙橋について余計なことは話さないと決めていたようです。羽生の囲み取材では、髙橋に関する質問がNGになることもあった。ただ、本人同士は表彰台で話すなど仲が悪いわけではありません。互いにその実力を認め合った関係なのです」(連盟関係者)

ソチには揃って出場した

 ソチから4年後の平昌五輪。本番を3カ月後に控えた17年11月、羽生はNHK杯の練習中、右足関節外側靱帯を損傷してしまう。だが、不死鳥のように復活を遂げた。痛み止めを飲んで臨んだ18年2月の平昌五輪で金メダルを獲得。2連覇を果たしたのだ。

 そして、羽生はこう口にするようになった。