「4回転アクセルを初めて公式試合で決めたい。それが、今の夢です」――。
五輪での金メダル獲得から、4回転半の成功へ。新たな「夢」を抱くようになったこの時期を境に、彼を支える“チーム羽生”にも変化が起きていく。
「平昌後、トロントで4回転半の練習を始めましたが、コーチのオーサーは乗り気ではなかった。彼の口癖は『トータルパッケージを大切にしなさい』。ジャンプだけでなく、ステップや表現力も研ぎ澄ませてほしいということです。オーサーとの話し合いを重ねたものの、両者の溝はなかなか埋まりませんでした」(前出・フィギュア担当記者)
同じ頃、オーサーと羽生を結び付けた一人の女性もまた、羽生と別離することになる。城田だ。18〜19年シーズンを最後にANAの監督も辞めている。
「世界のフィギュア界で影響力を持つ城田さんの存在が、プラスに働く面があったのは事実。ただ、羽生サイドは、もう彼女がいなくても、うまくマネジメントできると判断したようです。城田さんは『羽生が負ける姿は見たくない』と、北京までの現役続行にも後ろ向きでした」(城田の知人。城田に取材を申し込んだものの、回答はなかった)
母の派遣が決まった連盟理事会
実は、羽生は13年10月に、マネジメントや肖像権などを管理する個人事務所「team Sirius」を設立していた。当初は由美や城田と縁のある女性が取締役を務めていたが、18年11月、フィギュア界と縁の無さそうな人物が代表取締役に就任している。
元東京地検特捜部検事で、現在は、企業コンプライアンスなどを専門にする弁護士の政木道夫だ。
「東京地検の久木元伸検事正らと同期で、花の司法修習41期。04年に弁護士に転身しました。原発事故を巡る東電旧経営陣の裁判では、弁護士として被告の一審無罪を勝ち取った。伊調馨がパワハラを告発した問題では、レスリング協会の調査を行う第三者委員会の委員を務めました。羽生家とは18年11月以前から付き合いがあったそうで、事務所の社長に就任したといいます」(社会部記者。政木は「回答は差し控えさせて頂きます」と回答)
オーサーとは溝が生まれ、城田が去る一方、ヤメ検敏腕弁護士が加わった“チーム羽生”。だが、このまま北京まで順風満帆とは行かなかった。20年春、世界中で猛威を振るい始めた新型コロナが彼らを襲う。
「喘息持ちの羽生は、他の選手以上にコロナを警戒していました。海外渡航の自粛が解除されても、トロントに戻ることはなく、アイスリンク仙台を拠点に練習を続けたのです。主に、ジャンプコーチのジスラン・ブリアンからリモートで指導を受けるようになりました」(前出・連盟関係者)