さらに、秩父鉄道は熊谷駅より東に向かっても線路を伸ばしていて、いつだったかテレビドラマでも話題になった“足袋の町”行田を経て羽生まで。ローカル色は強いながらも、立派な地域交通の要である。
とはいえ、やはり熊谷駅においては秩父鉄道の存在感はやや薄い。秩父鉄道のホームのある南側の駅舎を出ると、秩父鉄道の駅ビルがあったりするのでそれはそれで無視はできないのだが、熊谷駅の主役というのにはさすがに少し足りないのだろう。
そんな秩父鉄道サイドの南口、住宅やホテルなどが建ち並んでいるが、どちらかというとひとけの少ないエリアといっていい。駅からまっすぐ南に行くと荒川の河川敷に出る。
荒川の河川敷というと誰もが金八先生を思い浮かべるところだろうが、金八先生は河口近くの河川敷。荒川はずいぶん長い川で、埼玉県内をずばっと横切って上流は長瀞、奥秩父へとつながっている。そのちょうど真ん中あたりが、熊谷なのだ。
北口に移ると銅像にオブジェ。これは…
南口から北口へと移る。北口は、まさに立派な駅前広場と商業施設(駅ビル)があり、さすが埼玉県北部の中心都市の玄関口。タクシーが客を待っている駅前広場の真ん中には、騎馬姿の立派な武者の像が建つ。近づいて……と行きたいところだが、クルマ通りも多い駅前なのでそれは叶わない。
目をこらして見てみると、この騎馬武者は熊谷直実というらしい。平安時代の末頃に活躍した武将で、源平合戦では頼朝方に与して一の谷の戦いで平敦盛を討ち取ったという逸話が残る。いまの熊谷市内に居を構えて治めたいわば郷土の英雄だ。
そんな熊谷直実の像の脇には、「ラグビータウン熊谷」なる碑も。さらに駅前広場の片隅には、妙にリアルででっかいラグビーボールのオブジェもある。そういえば、熊谷にはラグビーの専用競技場があって、2019年のワールドカップでも試合が開催されていた。熊谷直実といいラグビーといい、熊谷はただ暑いだけの町ではないのだ。当たり前ですが。
「熊谷」を特徴づけるもうひとつのポイント
熊谷の町を特徴づけるもうひとつのポイントは、かつての宿場町ということにある。JR高崎線は、おおよそ旧街道の中山道に沿って走っている。江戸時代までは東海道と並ぶ日本の東西を結ぶ大動脈のひとつだ。そして、熊谷には板橋宿から数えて8番目の宿場が置かれていた。
旧街道は大動脈としての役割を新参の国道に譲り、だいたい細い路地のような道筋に受け継がれていることが多い。だからいくらかは古い雰囲気が残されていたりして、宿場町情緒をほんのりと感じることができる。