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JR高崎線“日本のいちばん暑い駅”「熊谷」には何がある?

2022/07/25

genre : ニュース, 社会,

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 現在の熊谷市は、人口約20万人で埼玉県内では9番目。約130万人のさいたま市が圧倒的なNo.1だが、日本でいちばん“市”の多い県としてはなかなか健闘しているほうといっていい。そしてさらに、歴史的には埼玉県内でいま以上の存在感を持っていたことがある。

かつてもっと“圧倒的な規模”だった時代も…何があった?

 日本で初めて国勢調査が行われた1920年。当時の熊谷町の人口は約2万3000人。いまの10分の1というと少なく感じるが、そもそも時代がまったく違う。同じ埼玉県内で見ると川越に次ぐ2番目で、浦和などと比べても圧倒的な規模を誇る町だった。

 

 さらに遡れば、明治の初めには熊谷県(群馬県と埼玉県の一部をまとめたエリア)が置かれてその県庁所在地でもあった。江戸時代以来の宿場町、そして荒川の舟運という恵まれたポジションを活かし、明治以降は北関東で盛んだった養蚕・機業の中心地、集積地として栄えてゆく(戦災で大半が焼失し、現在の町並みは戦後のもの)。

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 1883年には当時の日本鉄道によって現在の高崎線が開通し、熊谷駅が開業。さらに現在の東北本線を建設するにあたって、熊谷を分岐点とする案も浮上している。

 このアイデアは主に両毛地域の人たちによって主張されたようで、すなわち生産された生糸の輸送の利便性をより高めようという狙いがあった。

 しかし、実際に建設ルートを決定したのは鉄道局長の井上勝。井上は、熊谷を分岐する案と大宮を分岐する案をそれぞれ実際に測量までして比較検討。結果、熊谷分岐で宇都宮に向かう場合には利根川と渡良瀬川というふたつの大河川を渡らねばならず、コストと工期においてデメリットが大きいと判断されてしまった。

 

ifと現在の「熊谷」

 この井上の決定で、大宮駅がいまのように埼玉県の中心として栄え、熊谷は一介の地方都市という関係性へとつながってゆく。もしもこのとき、熊谷が高崎線と東北本線の分岐点になっていたら、現在とはまったく違う繁栄があったのかもしれない。

 それはそれで見たくもあるが、熊谷の独特な雰囲気が失われたのだと考えれば、いまのままでも良かったのだろう。

 ともあれ、日本でいちばん暑い町、熊谷。歩いてみるとそれがまた、思ったほどは暑く感じない。たまたま暑くない日だったんじゃないですか、と言われたらそれまでだが、背の高いビルも少ないから風がよく通るし、緑も多い。かえって東京の真ん中のコンクリートジャングルの方が、体感気温はヤバい気がするのですがいかがでしょう。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

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