7月20日に第167回芥川賞に選ばれた『おいしいごはんが食べられますように』は、こんなストーリーだ。

 仕事も私生活もソツなくこなすタイプの二谷は、パッケージ製作会社に勤めて7年目。数ヶ月前に転勤を命じられ赴いた支社には、芦川という社員がいた。前職でハラスメントを受けたらしく、心身ともに繊細な彼女には、しんどい仕事を任せられないとの暗黙の了解があった。

 体調が悪ければ繁忙期でも残業しない芦川だけれど、支社長をはじめ周囲からは大切に扱われ配慮されていた。厚意へのお礼とお詫びの意を込めてか、彼女は家でせっせとお菓子を作り、会社でふるまうようになる。

 そんな芦川の言動を快く思わない同僚女性社員の押尾は、あるとき二谷にこう持ちかける。

「わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」

 芦川さんに対してモヤモヤした気持ちを抱いていた二谷は、押尾の申し出に半ば乗るものの、同時に芦川さんを可愛いとも感じて、恋人にもなるのだった……。

 とある職場を舞台に、「違和感」や「ムカつき」、「人と人との分かり合えなさ」が幾重にも積み上げられていく作品は、読む側の心に大きな爪痕を残す。

 作者の高瀬隼子さんは、どんな思いでこの一編を紡いだのか。受賞決定の翌日にご本人の言葉を聞いた。

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自分の感じたムカつきや違和感を忘れないよう、ノートに書き留める

高瀬隼子さん ©杉山秀樹/文藝春秋

「気持ちがしんとしたままで、いまだに実感が持てないです。昨夜もなんとか会見の場に立てましたけど、手がやたら汗をかいて熱いような冷たいような、訳のわからない状態でした。混乱し過ぎないよう自己防衛本能でも働いたのか、事態をどこか他人の身の上に起きたことのように眺めてる自分がいましたね。『高瀬さんという人、受賞してよかったね』という感じで」

 夕刻に受賞決定の連絡を受けるとすぐに記者会見場へ移動、居並ぶテレビカメラや記者の前で質問に答え、翌日は告知用写真の撮影にメディアの取材。いきなり慌ただしいスケジュールに巻き込まれたのに、心が凪いだままなのが自身にも不思議な様子。

『おいしいごはんが食べられますように』 (高瀬隼子 著)講談社

 落ち着いた風情から察するに、ふだんから感情の起伏があまりないほうなのでは?

「いえいえ、表面にはたしかに出にくいんですが、内心はいつも揺れまくっていますよ。しょっちゅうあれこれムカついたりしています。日常のいろんなところで、腹が立つことってすごくたくさんありませんか? わたしは自分の感じたムカつきや違和感を忘れてしまいたくないので、じつは持ち歩いているノートにいちいちそれらを書き留めています。たまにパラパラとめくって見直すと、ああ自分がムカついたのはこういうことだったんだなと、気持ちを理解するのにも使えます」