執拗で強烈な印象を残す“食”の描写
「芦川の視点に立った描写はしないと、最初から決めて徹底しました。もちろんわたしが書かなかっただけで、彼女も内心ではいろんなことを思い巡らしているのだろうと思います。子どものころや社会人1年目のときは、たぶん彼女は今とは違ったし、いろんな経験を経て、現在のような雰囲気をまとうことになったのでしょうね」
食に関する描写も頻繁に出てきて、それらは執拗で強烈な印象を残す。
「食については、『食事は一日に三回もあって、それを毎日しなくちゃいけないというのは、すごくしんどい』と考えている二谷から見れば、食べるという行為はこう映るだろうという視点から書いていきました。ケーキのクリームが歯の裏にびっしりくっついてくる、などとあまりおいしそうには思えないかもしれないのですが、食にまつわるシーンの描写は書いていて楽しかったですね」
小学生のころから、筋金入りの本の虫
1988年に愛媛県新居浜市で生まれた高瀬隼子さんは、どのように小説の世界へ没入し、いかにして芥川賞作品を書くに至ったか。
小学生のころから、筋金入りの本の虫だったという。生まれ育った町には、自転車で行ける範囲に書店が1軒あって、買う・買わないにかかわらず、しょっちゅう足を運んだ。
懐が寂しいときは、文庫コーナーの本の並び順を丸暗記するほど眺め尽くし、おこづかいが入れば狙いをつけておいた1冊を買うといった具合。
「最初はライトノベルやハリー・ポッターシリーズなんかから入って、中学生あたりで吉本ばななさん、角田光代さんへ。そこから日本の現代小説へと、どんどん関心が広がっていきましたね」
読むから「書く」へ。1年に1作のペースで書き続けた
立命館大学に進学してからは、読むだけでなく「書く」にも本格的に取り組み始めた。小説を実作し、文芸誌の新人賞へ応募することを始めた。
卒業後も、会社勤めをしながら執筆を怠らぬ日々。1年に1作のペースで書き続けた。
「でも毎回落ちてばかり。10回くらい落選したときには、これは一生デビューなんてできないのかなという気持ちになりました。それでも不思議なことに、書くのを止めてしまおうとはならなかった。落選してもすぐ、さて次のを書こうかなとごく自然に思えたんですよね」
1作書くたび、着実に腕を上げているといった感触はあったのかどうか。