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「絶対的アイドル」

「いやー、すごいね。このホテル、僕の初防衛戦の時に、一週間いたホテルだよ。ここに泊まってね、代々木公園をロードワークしましたね」

 変哲のないホテルを指差し、ちょっと興奮したように語るのは、元ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高である。渋谷のNHK近くで待ち合わせたのだが、そこは偶然にも彼にとっての思い出の場所だったのだ。

石垣島出身の「絶対的アイドル・具志堅用高」 ©文藝春秋

 知人が所有する近くのマンションの一室をインタビュー場所に決めていたが、そこへ移動する間にも、具志堅は、タイトルを獲得したファン・グスマン戦を振り返り熱く語ってくれた。

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「野球でもドミニカの選手ってすごいでしょ。力があって、遠くまで飛ばす。ね、だから(ドミニカの)グスマンのパンチは強かったよ。僕と戦うまでは、ずっと一ラウンドKO勝ちを続けていて強かったよ」

 私は、少年時代に具志堅のファイトをテレビで見て育った世代で、彼は私の「絶対的アイドル」だ。そんな具志堅が目の前にいて、しかも歴史的タイトル戦を語っているなんて、夢のようだった。

 おっと、この日の主題を忘れかけていたが、肝心なのは石垣島の少年時代のテレビ体験だった。インタビュー場所に落ち着くと、最初にテレビを見たのはいつだったのかを問うた。

「いやあ、東京オリンピックを見たかったけど、まだ石垣にはテレビがないのよ。いつだったか……。でもね、最初はね、四角いものから映像と音が出て、珍しかったよ」

 メキシコオリンピックはテレビで見たと記憶しているので、1968年には具志堅家にテレビはあったようだ。

「アベベが裸足で走っていた。ちっちゃなテレビで、白黒で見た覚えがある。ずっともうテレビの前にいましたよ、私は」

 茶目っ気たっぷりの目になり、こう続ける。

「チャンネルはひとつしかないからね。NHK(OHK)しかない。民放なんてない。白黒でね。テレビが壊れるのが怖くて、僕はいじらなかったよ」

 周囲にはまだテレビが少なかったようで、具志堅家に近隣の人たちも見にきていたという。

「昼間は両親は働いているし、僕は学校に行っている。だから、帰ってきた夕方に、みんなで見るんだ。『ひょっこりひょうたん島』とか、大河ドラマはなんだったかな、『龍馬がゆく』、とか。それから、大相撲、ジャイアンツの野球試合。スポーツ番組はたいてい日曜日に流れる。マラソン、駅伝とかね。そういうのを見ましたね。サッカーもありました、ラグビーもありましたかな」

 石垣島では、長い間、OHK(のちにはNHK)の一局体制が続いたことも自分の試合を引き合いに出しながら教えてくれた。

「民放が映ったのは、僕がボクシングを引退してから。だから、島の人たちは、現役時代の世界タイトルマッチの全部の試合を電器屋さんとか、近所の公民館とかに集まって(VTRで)見ていたんですね。で、好きな人は那覇まで出て、那覇で生中継を見たりしていたらしいけど」

 具志堅は、当時を感慨深げに振り返ってくれた。私にとって、職務を超えた至福の時となった。

どこにもないテレビ

渡辺 考

かもがわ出版

2022年6月25日 発売