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 物語は、65歳になったマイケルがビジネスの合法化を目指し、罪を懺悔し、壊れた家族との絆を取り戻そうとする話に、バチカン法王庁のスキャンダルが絡む。コッポラは、78年に実際に起きた、在位期間がわずか33日での法王の急死を、バチカン内の守旧派による“毒殺”と設定し、82年のバチカン銀行の資金運用を担当していたアンブロシアーノ銀行頭取の自殺を、マイケルが大司教に支払った資金を彼が持ち逃げしたために“処刑”されたとし、人物や企業のモデルが特定できるように描いた。

 天皇、四大銀行、宗教などタブーが多い日本でヤクザ映画が差別問題や政財界との関わりを描くとき、否応なく暗示的な表現となるのとは対照的だ。

『PARTⅢ』は、ロバート・デュヴァルがギャランティの問題で出演しなかったことで当初の脚本を急に書き変えざるをえず、人物描写ももの足りない。しかし、脚本の弱さを補って余りあるのが、マフィアとバチカンの血で血を洗う闘争である。抗争シーンになると途端に映画のアドレナリンが沸騰する。

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 白眉はラストだ。三角関係の縺(もつ)れから決闘と殺人が起こる、ピエトロ・マスカーニのオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の上演とバチカン関係者やコルレオーネに敵対するマフィアの殺戮のクロス・カッティングの美しさ。

 そして、イタリアの鬼才監督、ピエル・パオロ・パゾリーニの『アッカトーネ』(61年)の主演男優フランコ・チッティが第1作のマイケルの護衛役の18年後の姿として、親分を殺されたシチリア・マフィアを演じ、復讐のために銀行家の首をかき切り、血のオペラのフィナーレを飾る。フランコ・チッティはもともとプロの俳優ではない。1950年代初頭、社会からもさらに共産党からも放逐されてはぐれ者となったパゾリーニがローマのスラム街に沈潜していた時期に知り合った、前科持ちの、まさにアッカトーネ(物乞い)的、ラッツァローネ(ならず者)的な友人であった。

 現代史の闇に斬りこんだ果敢さとオペラ的な構成の見事さにおいて、『PARTⅢ』は3部作の見事な完結篇であると思えるが、批評も興行成績も前2作に遠く及ばず、アカデミー賞も無冠に終わり、コッポラは2020年に『PARTⅢ』を再編集し、弱点を補って再公開した。

 第3部が前2作に比べ観客の支持を得られなかったのは、「冷酷非情なマイケル」に魅せられた観客が「報いを受け、罪の意識に苦しめられるマイケル」の姿を見たくなかったからだろう。加えて、マイケルの家父長的な男性優位主義(マチスモ)は90年代にはすでに時代遅れ(オールドフアツシヨン)で抑圧的なものと感じられたのではないか。

ドンの娘役、タリア・シャイア ©PARAMOUNT PICTURESAlbum

「凄い映画だ」と興奮した高倉健

 72年春、東映京都撮影所で『ゴッドファーザー』をアメリカで観てきた高倉健がプロデューサーの俊藤浩滋に「凄い映画だ」と興奮してしゃべっていた、と脚本家の高田宏治は証言する(本稿のための取材による)。日本でもっとも『ゴッドファーザー』に衝撃を受け、これを超える日本映画を作ろうと考えた映画人が俊藤浩滋だった。

 一方、深作欣二は『映画監督 深作欣二』(深作欣二、山根貞男共著)の中で、『仁義なき戦い』への『ゴッドファーザー』の影響を山根に訊かれ、「『ゴッドファーザー』には痛恨という感覚はあまりなかった」「『仁義なき戦い』を撮るとき、そこがいちばん違うところだろうなと思ってました」と答えている。『仁義なき戦い』における「痛恨」とは果たして何なのか。その意味を探りながら、『仁義なき戦い』5部作の軌跡を辿ってみよう。(文中敬称略)

映画史家・伊藤彰彦氏による「『ゴットファーザー』と『仁義なき戦い』」は、「文藝春秋」2022年8月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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『ゴッドファーザー』と『仁義なき戦い』