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 第五福竜丸事件は、全国に衝撃を走らせた。乗組員17人が肝機能障害に侵され、第五福竜丸が積んで帰ったマグロからは強い放射能が検出された。被害はこの船だけにとどまらず、1954年3月から12月までに汚染魚を積んできた漁船は計856隻、廃棄された魚は485.7トンに及んだ。さらに、水爆で放出された放射性物質は大気圏に拡散され、日本全国で「放射能雨」が降った。

 原水爆の禁止と損害賠償を求める声が上がり、全国各地で署名運動が展開された。「原水爆禁止署名運動全国協議会」は8月までに、449万余の署名を集めた。第五福竜丸の無線長、久保山愛吉の容体が悪化すると、回復を祈るように署名が進み、9月5日には786万筆余に。しかし、久保山は同月23日、40歳で息を引き取った。

 第五福竜丸事件は、1945年8月、すでに経験させられたはずの被ばくの脅威を改めて、そして具体的に、人々に突きつけた。水爆実験の被災者はもちろん、広島・長崎で、そして獲得した魚を廃棄するなどして重大な損失を被った漁業関係者や汚染魚におびえた一般市民にも、原水爆の禁止と補償を求める声が広がってゆく。

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アメリカに否定された「被ばく死」

 アメリカは、第五福竜丸事件にどう向き合ったか。「黒い雨」に着目する本書では、「死の灰」に対するアメリカの認識にも着目したい。ここから、黒い雨を含む放射性降下物に対するアメリカの考え方が見えてくる。

 まずは賠償問題について検証する。この問題を巡っては1955年1月4日の日米交換公文で決着がつき、アメリカが日本政府に200万ドルを支払うこととなった。

 当時の円に換算すると7億2000万円で、配分は日本政府に一任された。第五福竜丸の乗組員らに対する治療費や、マグロ漁業者の損害に対する「慰謝料」などに充てられたが、今後の追加請求は認めなかった。その後に廃棄魚が出たり、健康影響や死亡者があったりしても、「解決済み」とされた。

 だが、『隠されたヒバクシャ 検証=裁きなきビキニ水爆被災』(グローバルヒバクシャ研究会編著、凱風社、2005年)が、その金の性質について「法律上の責任問題とは関係が無い見舞金」と指摘しているように、水爆実験で発生した被害に対する「賠償金」ではなかった。

 交換公文の原文では「ex gratia」と表現されているが、「英辞郎on the WEB」によると、「好意からの」「善意による」「法律上の義務に基づかない支払い」などを意味する。つまり、アメリカが賠償責任を認め、犠牲の「償い」として支払った金ではなかった。