“推し”のおかげで今日も仕事が頑張れる……。何かと心労の絶えない現代社会、応援しているアイドルの存在を心の支えにしている人も多いのではないだろうか。
実は戦時中にも兵士たちの心を慰めた“元祖会いに行けるアイドル”が存在した。東京大空襲の直前まで舞台に立ち続けた彼女の名前は、明日待子。8月11日(木・祝)に放送予定の特集ドラマ『アイドル』(NHK総合)では、彼女の青春時代が描かれる。
ここでは、中央大学経済研究所客員研究員であり、メディア史や大衆文化の研究を専門としている押田信子さんの著書『元祖アイドル「明日待子」がいた時代』より一部を抜粋。待子がどれだけファンに崇められていたかを証明する「明日待子万歳事件」について紹介する。(全2回の1回目/後編に続く)
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“明日待子万歳”事件
昭和11(1936)年5月、ムーラン・ルージュ新宿座の客席に、軍服の一団が座っていた。彼等は2・26事件を引き起こした陸軍第1師団に所属する、新兵たちだった。踊り子軍団とともに、舞台中央に可憐な容姿の16歳の少女が現れると、7人の兵士たちは一斉に立ち上がった。
間髪を入れず、「明日待子万歳! 万歳! 万歳!」と声を揃え、万歳三唱をし、挙手の敬礼をした。次に、ひとりの兵士が「明日待子さん、自分たちは」と言いかけたとき、憲兵たちが素早く駆け寄ってきて、激しい勢いで全員の頰をピシッと打った。間髪を入れず、腕を捕え、引き摺るようにして連れていってしまった。劇場内にどよめきが起こった。明日待子と呼ばれた少女は呆然と立ちつくし、彼女を囲む踊り子たちも動きが止まった。なかにはすすり泣く子も現れた。
その2ヶ月後、2・26事件を首謀した青年将校たち15名に死刑が執行された。
「明日待子万歳事件」に関わりのあった兵士たちになんらかの処罰が下ったかは定かではないが、彼らを突き動かしたのは、2・26事件の理不尽な結末への異議だった。そもそも、2・26事件は第1師団が満洲へ派遣されることに対する抗議が動機のひとつでもある。
「明日待子さん」と呼びかけた若い兵士たちも、満洲へ送られることが決まっていた。故国との別れの前に、大好きだったムーランの舞台を観て、憧れのアイドルにやりきれない心の内をさらけ出したい。若い男性のアイドルに寄せる気持ちは昔もいまも変わらない。胸に沸き上がる不安を払いのけ、強く生き抜いていくための精神的な支えなのだ。
明日待子万歳事件は出来事だけがゴシップ記事の多い都新聞のコラムに小さく載っただけだったが、噂は瞬く間に広がった。
その影響だったのだろう。ムーランでは、事件数日後から、出征兵士による「明日待子万歳」が連日、叫ばれるようになる。2・26事件に関わりのあった兵士たちへのオマージュの意味もあったのだろうが、その行為の鮮烈さに心を打たれた者たちの厳かな儀式になっていた。彼らにとって明日待子はアイドルなんていう生易しいものではない。いわば、神に近い存在に高められていた。
「万歳」の声が鳴りやまると、
「出征される方はお手を挙げてください」