“推し”のおかげで今日も仕事が頑張れる……。何かと心労の絶えない現代社会、応援しているアイドルの存在を心の支えにしている人も多いのではないだろうか。

 実は戦時中にも兵士たちの心を慰めた“元祖会いに行けるアイドル”が存在した。東京大空襲の直前まで舞台に立ち続けた彼女の名前は、明日待子。8月11日(木・祝)に放送予定の特集ドラマ『アイドル』(NHK総合)では、彼女の青春時代が描かれる。

 ここでは、中央大学経済研究所客員研究員であり、メディア史や大衆文化の研究を専門としている押田信子さんの著書『元祖アイドル「明日待子」がいた時代』より一部を抜粋。待子たち芸能人の雑誌グラビアや“プロマイド”が当時の兵士たちにどんな影響を与えたかを紹介する。(全2回の2回目/前編に続く

ADVERTISEMENT

明日待子 『元祖アイドル「明日待子」がいた時代』より

◆◆◆

慰問雑誌と待子

 待子は「戦時中は兵隊さんの慰問もよくやりました。左翼演劇の壊滅、体制への順応が進むなかで、国民の士気高揚、戦意推進のために、ムーランは娯楽に飢えた戦地の兵士に向け、役に立つ劇団だったのでしょう」と言う。

 待子が慰問に行ったのは昭和18(1943)年ごろからで、その慰問の様子は、戦時中に発行された慰問雑誌に掲載された。

 ところで「慰問雑誌」とは、なんだろう。少し説明しよう。

 昭和13年、海軍が発行元になった慰問雑誌『戰線文庫』が誕生した。翌年には陸軍から同じく慰問雑誌『陣中俱樂部』(陸軍恤兵部発行『恤兵』改題)が生まれている。両誌は兵士の慰撫を目的に、グラビアでは女優、歌手、芸者など芸能界や花街の女性を登場させ、本文では小説、講談、落語、漫画など娯楽読み物が満載である。

『戰線文庫』は慰問全般を扱う海軍恤兵係(のちに海軍恤兵部)が監修、発行元は興亜日本社であった。興亜日本社は菊池寛率いる文藝春秋社の実質子会社である。片や『陣中俱樂部』は陸軍恤兵部が発行元になって、編集は大日本雄辯會講談社(現・講談社)が行っていた。 

 両誌の制作には、国民からの出征兵士への慰問金である「恤兵金」が使われたため、兵士には無料で配布された。すなわち、国民がスポンサーとなって出版されたのである。ちなみに、いまでは聞きなれない「恤兵」とは「慰問」を指す言葉である。

 戦地の兵士は毎月、慰問雑誌が届くと、熱狂して頁を繰ったという。とくに彼らが待っていたのは、グラビアの美しく微笑む女性の写真である。まさに、いまでいうアイドルグラビアの美女たちが彼らに向かって「武運長久お祈りいたします」「皇軍の皆々様どうも有難う」と、にっこり語りかけてくるのだ。

 軍部による慰問雑誌の発行は兵士の戦意高揚を狙ってのことだが、『戰線文庫』は終戦間際の昭和20年3月1日発行の第77号、『陣中俱樂部』は昭和19年11月1日発行の第106号で途絶えている。