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「(慰問公演の)客席に私と年が違わない人たちがいるのを見て、励ますのはつらかったですね。命をささげる若者に『命を大切に』とは言えませんですからね。

 少年飛行隊のところに行ったときは、お汁粉をごちそうになりましたが、砂糖のない時代でしたから、甘さは格別でしたね。でも、その後の皆さんのことを思うと、泣きたい気持ちになりました。皆さん、どうか、ご無事で、それだけを祈っていましたよ。戦争は二度と、ごめんですね」と筆者のインタビューに答えて待子はきっぱりとこう述べた。

プロマイドによる銃後活動

 浅草に「マルベル堂」という名の芸能人のプロマイド(当時は「プロマイド」と呼んでいたため、この表記を使う)を専門に扱う創業101年の老舗がある。戦時中には慰問袋にプロマイドを入れて送るため、重要がグンと伸びた。待子の場合はムーランに出入りしているカメラ会社が主に撮影し、劇場内で観客に販売したが、マルベル堂でも扱っていて、好評を博していた。

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 戦地兵士からも待子宛に、「お守り代わりにするから、あなたのプロマイドを送ってください」という手紙が毎日のように届いた。 

 これを聞き付けた新聞記者が「あなたの銃後活動は?」と早速、待子に質問をぶつけた。

 私たちは兵隊にいけないし、私たちは、私たちで出来る銃後を守るせい一杯のことをしなくてはならないと思ひますわ。こんな人気商売ですからお客さんから色々お手紙をいたゞくが、返事が、さう出せないのです。支那の現地からも私のフアンの方がまつ公、すこやかに藝道に邁進してくれとあべこべにはげまして下さるわ。然し現地の兵隊さんになにがあらうと必ずプロマイドを入れて返事をだしますわ。そうして慰めてあげなくてはならないと思ひます。本當に少さな慰問活動ですけど、私が出来る銃後活動ですもの。(待子所蔵の新聞記事の切り抜きより抜粋 発行元、発行年月日不明)

 記者は待子の銃後女性として満点の答えに満足し、

 人気商売の人気のバロメーターはファンの手紙だとは云ふが、海を渡つて、彼女に捧げられる死線を越えたる前線の兵隊さんのゆかしい純愛。明日待子さんは果報者です。

 と記事を締めくくった。

 実際のところ、待子はムーランから帰宅後は彼女宛に届いた軍事郵便を「力の限り読み、お返事を書き、毎月百数十枚のプロマイド」を戦地に送っている。

 兵士に生きる希望を与えたアイドルのプロマイド。とはいえ、憧れのアイドルのプロマイドを手にした兵士はどんな感想を持ったのだろうか。戦前の芸能界で圧倒的人気を博した映画女優、高峰秀子は名著『わたしの渡世日記』のなかで、兵士とプロマイドについて哀切極まりない文章を残している。

「慰問袋ニ入ツテキタアナタノブロマイドヲ見テ、手紙ヲ書キタクナリマシタ。タブン、ハジメテデ、最後ノテガミニナルデセウ。返事ハイリマセン」

 

「今日まで、貴方の写真を胸のポケツトに抱きつづけてきましたが、共に戦場で散らすに忍びず、送り返します。よごしてしまつて済みません...。一兵士より」

 

(中略)

 

 私には、身内から戦死者を出した経験はないけれど、私のブロマイドを抱いて、たくさんの兵士が北の戦地を駆けめぐり、南の海に果てたことを知っている。