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 昭和22年、戦後のムーラン・ルージュ文芸部に入った、脚本家の窪田篤人は小説『新宿ムーラン・ルージュ』(六興出版刊)で「明日待子万歳事件」以降、恒例になった待子と踊り子による場外見送り劇についてこのように書いている。 

 召集令状が来た時、ムーラン見に行ったんだ。そしたら、舞台の上から明日待子が 「これから出征なさる方がいらっしゃいませんか......」 

 

「......思わず手上げたらよ、ほかに2、3人、おれと同じように戦争に行く奴がいるんだ。明日待子が舞台から降りてきて、俺たちの手を握ってくれて、武運長久をお祈りしますって......無事に帰ってきて下さいって......それから、踊り子みんなで旗振ってくれて(後略)」(『新宿ムーラン・ルージュ』)

 血気盛んな青年に対する憲兵の取り締まりなど日常茶飯事のこと、一般の新聞でも特別取り上げるニュースではないと判断されたためか、「明日待子万歳事件」もその後の「見送り劇」も世間に流れることはなかった。

 しかし、ムーランで起こった一連の事件は青年たちの間で、秘かに語られていった。

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「こうなったら、ムーラン・ルージュに行くしかないじゃないか。まっちゃんに向かって、万歳と言おう」

「待子万歳」は聖地での祈りの言葉だったととらえるほうが彼らの心情に近いかもしれない。