昔の地図や航空写真を見て検証してみる。現在と佐久間ダムが完成した前後の道路を見比べると、状況が大きく変わっていることが分かる。小和田から天竜川を渡る橋も、昔はかなり数が限られていたのだ。
小和田と中井侍(なかいさむらい)を結ぶ道は、佐久間ダムが完成する以前から存在しており、人々が歩いて往来する街道だった。それがダムによって湖底に沈んでしまったため、高い位置に付け替えられた。その時に架けられたのが高瀬橋だ。
しかし、せっかく立派な橋を架けて道路を付け替えたものの、小和田の集落は湖底に沈んで消滅している。つまり、ダム建設後に小和田―中井侍間を往来する必要がなくなり、道はすぐに廃道と化してしまったようだ。
このときに付け替えられた道が車道で、小和田から高瀬橋を渡り中井侍まで行くことができれば、昭和29年に完成した天竜川橋で対岸の佐久間街道に出られる(現在は「平神橋」や「水神橋」など、対岸に渡る橋が他にもあるが当時はなかった)。
当然、ミゼットも走行可能だ。問題は、小和田から中井侍までの道が車道か歩道かということなのだが、いくら調べてもはっきりとしない。
これは実際に行って確かめるしかない。私は再び現地に向かった。
別ルートから調査を展開…
数か月間で3回目の訪問になるが、今回目指したのは、これまでとは違い、小和田から北方面にお隣の中井侍駅だ。ここから歩いて小和田駅方向へと向かう。現在は地図上に道は存在しないが、かつては天竜川に沿って道が伸びていた。スマホで昔の地図と現在の地図を開き、GPSで現在地を拾いながら歩いていると、それらしい分岐を発見した。早速、昔の道へと入ってゆく。
未舗装ながら道幅は2メートル以上あり、歩きやすい。この状態なら、今でも軽トラが楽に走れるだろう。オート三輪が走っている姿を妄想しながら、歩いてゆく。
しばらくすると、急激に道の状態が悪くなった。途中までは電線のメンテナンス等で利用されている現役の道だが、そこを過ぎると完全に廃道となるようだ。
路上には落石が転がり、倒木が行く手を阻むが、ずっと2メートルほどの道幅を維持している。途中、完全にガレ場(岩や石がガラガラと積み重なった場所)と化したり、並行する飯田線の工事や砂防工事で道が消滅している区間もあった。
高まきに越えるなどして、道を見失わないよう慎重に進んでゆく。出発から2時間弱、汗だくになっていたが、ようやく高瀬橋に到着した。