静岡県浜松市天竜区に位置するJR飯田線・小和田駅は、周囲に車道がないため自動車でアクセスできず、周辺に集落などもないという特異なロケーションから、マニアの間で国内有数の“秘境駅”として愛されている駅だ。

 車で立ち入ることもできなければ、走る道もない。それにもかかわらず、なぜか小和田駅の周囲にはオート三輪「ミゼット」の廃車が複数台遺されていた。いったい誰がどのような目的でミゼットを使用していたのか……。小和田駅の歴史を紐解いた前編に続き、ここでは、駅周辺に遺されたミゼットの“謎”に迫っていく。

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車道がない場所に遺されたオート三輪のナゾ

 そういえば、まだ解決できていない謎がある。前編で紹介した小和田駅周辺に転がっていた3台のミゼットだ。なぜ車道がない場所にもかかわらず、オート三輪が遺されていたのだろうか。

車道が通じていない小和田駅周辺に転がっていたオート三輪「ミゼット」
朽ち果てた運転席

 最初に思いついたのは、佐久間ダムが完成する前に、道路を走ってきていたという説だ。かつては、小和田と対岸の佐久間街道を結ぶ橋が架けられていたと言われている。しかし、佐久間ダムの竣工が昭和31年なのに対し、ミゼットの発売は昭和32年。ミゼットが発売された年には既に佐久間ダムが完成し、道路が水没していた計算になるため、この説は成立しない。

駅周辺には計3台のミゼットが遺されていた

 ネット上には、飯田線の貨物列車で運んできたという説や、船で持ってきたという説も囁かれている。しかし、仮にそのようにしてミゼットを持ち込んだとしても、外部に出られない環境下では役にも立たないのではないだろうか。つまり、ダムが完成した後も、外部と通じる車道があったと考えるのが合理的だろう。

 そこで、小和田駅から塩沢集落へ向かう途中にあった自動車が通れそうな道のことを思い出した。

 通行不可と書かれていたが、あの道を直進して、今はなき高瀬橋を渡り、そのまま道が続いていたのではないか。