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歴史を感じさせる高瀬橋の姿

 コンクリート製の大きな主塔がそびえ立ち、立派な吊り橋だった当時を思わせる。

高瀬橋の主塔は立派な状態のまま残っている

 メインケーブルは対岸の主塔と今も繋がっているが、床板やそれを支えていたケーブルも全て落ちてしまっており、今となってはパッと見ただけでは橋と分からないほどの状態だ。床に敷かれていたと思われる木板の一部がケーブルから垂れ下がっている。

床板は抜けていて当然渡ることはできない

 主塔の一方には“高瀬橋”、もう一方には“昭和三十二年一月竣工”と彫られていた。昭和32年といえば、奇しくもミゼットが発売された年と同じだ。架けられたばかりの新しい吊り橋を、発売されたばかりの新車のミゼットが駆け抜けていたということだろうか。つい、その姿を妄想する。

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主塔に刻まれた文字からも歴史が感じられる

 この日歩いた中井侍駅から高瀬橋の区間、そして前回歩いた小和田駅から高瀬橋までの区間、そして高瀬橋自体も、全て2メートルほどの道幅がある。つまり、ミゼットが通行できるだけの道幅は十分にあるということだ。歩いた道には崩れている箇所もあったが、基本的には石積み等で堅牢に造られていた。

未舗装だが道そのものは堅牢に作られている

 なお、ミゼットは小型のオート三輪として開発された車で、軽便性を売りにしていた。かつて周辺に存在した道路の道幅の細さを鑑みると、小和田にあった廃車が全てミゼットだったことにも、必然性を感じる。高瀬橋をミゼットが走っていたのだろうと、より強く感じるようになった。しかし、この道が車道であったことを示す道路標識などの決定的な証拠は見つけられなかった。

 高瀬橋から折り返してきた私は、周辺の集落で聞き込みを行うことにした。