まさかの回答、そして対応…
質問の内容から、小和田駅周辺にあるミゼットのことを調べているのだと、すぐに見抜かれていたのだ。そして、実態を土木整備事務所で把握していなかったため、道路台帳や郷土史などの資料を調べ、浜松市の資料館の職員さんにも話を聞いたが、結果、「高瀬橋を自動車が通行できたのかどうか」は分からなかったという。
次にダムの事業主体である電源開発にも話を聞いてもらったが、これといった資料は出てこなかった。
しかし、土木整備事務所の担当者の方は、なんと塩沢集落まで実際に足を運んでくださったという。
それでも、決定的な話は聞けなかったそうだ。しかし、オートバイ程度の車両なら高瀬橋を走っていたという話を聞くことができたという。そして、驚くべきことに、土木整備事務所の職員の方はミゼットの所有者を突き止めていた。現在は街に引っ越したという所有者ご本人とのコンタクトも試みたが、ご高齢ということもあり、話を聞くことは叶わなかったという。
職員さんは「せっかくお問い合わせいただいたのに、『分からない』という回答で申し訳ありません」と電話口でおっしゃっていたが、ここまで調べていただき、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「今後も個人的に調べようと思ってますので、何か分かりましたらお知らせします」ともおっしゃってくれた。お互いに進捗があれば連絡しますと言い合い、電話を切った。
結局、高瀬橋をミゼットが走っていたかどうか、確証は得られなかった。しかし、あの橋をミゼットが走っていた可能性はより高くなったと思う。
調べている過程で、高瀬橋以外にも小和田から外部へ抜ける車道があったのではないかという話も浮上した。小和田のミゼットが塩沢へ来ていたという証言もあった。しかし、こちらも確証は得られていない。
これだけ調べても、高瀬橋をオート三輪が走っていたとも、走っていなかったとも分からないというところに、ロマンを感じた。いつの日か、土木整備事務所の職員さんに真相を報告できるよう、今後も調べ続けていきたいと思う。
写真=鹿取茂雄
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