東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏。ロシアによるウクライナ侵略からしばらくの間、テレビを始めとするメディアで見ない日はなかったといっても過言ではない、ロシアを専門とする安全保障研究者だ。
ウクライナ侵略に踏み切ったプーチン政権に対して厳しい目を向ける氏ではあるが、自身の経験をもとに、市井のロシア人の生活から、国家観、社会を紹介する『ロシア点描』(PHP研究所)を上梓するなど、軍事以外の面での理解の必要性も訴えている。
前編では、戦争が膠着状態にあること、それを打開するためロシアには動員という術があるが、プーチンは動員に踏み切れていないと小泉氏は指摘した。それはなぜか――。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
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動員は政治的賭け
小泉悠さん(以下、小泉) 核と違って人類滅亡の危険は無いから、ロシアは動員をかけてもいいはずなのにしていない。多くのロシア研究者が言っているのは、動員は国民に不人気だからプーチンは動員しないという話です。プーチンに聞いたわけじゃないので憶測ですが。
多くのロシア通も指摘していますが、プーチンは民意を気にする独裁者だと思います。プーチンが強いから国民を従わせる側面がある一方で、国民が支持するからプーチンが強いという逆のベクトルがあると思います。その2つの区別がつかない形に癒着しているのがプーチン権力だと思うんですよね。
なんでそんなことになっているか。僕は身も蓋もない理由だと思ってて、プーチンのキャラってロシア人っぽいんです。ロシア人は笑わないんですよ。未だに覚えてますけど、暑い日にスタンドで水を買おうと思って「冷たい水あるか」と聞いたら、いきなり「15ルーブル」と言われて。「いや、冷たい水あるのか」って言ったら、「馬鹿かお前。あるんだから15ルーブルと言っているんだろう」みたいな、そんな調子なんですよね。
プーチンの登場した当初、あの痩せこけた青白い顔して笑わないプーチンは、なんとなくロシア人の国民的感覚にフィットしたと思うんです。それと90年代の混乱にうんざりしていたところに、プーチンが体育会系的な秩序を持ち込んできた。それは色々な癒着や汚職の源泉でもあるけど、少なくとも平場で暮らす分には暮らしやすくなった。
僕がロシアにいた時はまだギリギリ取っていましたけど、警官から賄賂取られなくなるとか、窓口の対応がよくなるとか、社会福祉関係とか本当に良くなったと思います。公務員も真面目に仕事するようになったという話から、ロシアの国際的な威信を取り戻してくれたというような話まで。
ここで動員かけるのは政治的な賭けだと思います。「皆さんの平和な日常は終わりです」とプーチンが言えるかというと多分言えないから、5月9日の戦勝記念日にも動員を発表できなかった。ロシアにはエスカレートする手段があるけど、できないってことですよね。