ロシアにとって“第二次大戦の記憶”が重い理由
――安直に例に引きたくはないですが、ヒトラーも国民に第一次大戦の記憶(ドイツ国内で深刻な飢餓が発生した)を呼び起こす総動員は戦争後半まで避けてましたね。それと同じように、国民に負担を強いる動員は、ロシアにとってもトラウマなんでしょうか?
小泉 独ソ戦で2000万人死んでいますからね。モビルザーツィア(動員)という言葉が持っている、社会や生活全体を飲み込んでいく恐怖感というのはすごくあると思います。
プーチンも実際に戦勝記念日の演説で「この戦争で誰も犠牲者を出さなかった家庭はありませんでした」と言ったことがありますが、みんな戦争に行ったり、軍事工場で働いたり、空襲を受けたり、まさにアレクシエーヴィチ(ソ連邦内ウクライナで生まれ、現在ベラルーシ国籍の作家・ジャーナリスト。2015年ノーベル文学賞受賞)の『戦争は女の顔をしていない』の世界です。
一方では勝利の華々しい記憶もあるけど、それがものすごく陰惨だったのもロシア人から消すことはできない。プーチン自身、レニングラードがドイツ軍に900日包囲されて、お母さんが餓死寸前になる状況でした。あの総力戦の陰惨さは、プーチンも一ロシア人として理解しているからこそ、言えないのだと思います。
――ロシアにとって、70年以上前の第二次大戦の記憶というのは、それほど重たいのでしょうか。
小泉 ものすごく重たいし、プーチンがその記憶を自分で復活させてきた面もあると思います。前提として、ロシア人はあの77年前の戦争を全然忘れていない。最近の日本って、8月15日もスルーしてますよね。ロシア人はドイツが攻めてきた6月22日とか勝利した5月9日は、非常に重たく祝って、重たく記憶しています。
多くの日本人にとっての悲劇って45年になるまで、人々の目に分かる形で無かったと思います。ソ連の場合、いきなり本土決戦から始まるので、あれを4年やったのは、雑な言葉かもしれませんけど、民族的トラウマとしか言いようがない爪痕を残したと思うんです。
それで勝ったもんだから、それはそれで悪い気もしないから、その記憶をプーチンが2000年代以降にすごく利用した部分があると思います。例えば、5月9日に赤の広場でやるパレードとかも90年代は兵隊しか行進してなかったんですよ。それが2007年になって、ICBMや戦車が出てきたりして「こんなパレードを復活させたんだ」といった話を当時した記憶があります。
2000年にプーチンが大統領になって、ロシアを何とかまとめようとしている時に、一番便利な国民統合の原理が「あの邪悪なナチスを我々は倒した」ということだったと思うんですけど、それをやりすぎた結果、自家中毒になって、自分たちがナチスみたいなことをやってるという何とも言えない状況です。