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「ようやく、落とし前をつけた」25歳の日本人女性は、なぜ「モナ・リザ」に赤いスプレーを噴射したのか

著者は語る 『凜として灯る』(荒井裕樹 著)

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『凜として灯る』(荒井裕樹 著)現代書館

「日本の障害者運動史を学んでいる者にとって避けて通ることはできない大きな存在に、思い切って取り組んでみたんです。自分でなければ書けないだろうという自負心もありました」

 エッセイストの故・池田晶子さんを記念した「わたくし、つまりNobody賞」を今年受賞した、障害者文化論の研究者の荒井裕樹さん。『凜として灯る』で、ある女性の半生を丁寧にたどった。本人へのインタビューを含め、取材期間は約6年間に及んだ。

 彼女が世間の耳目を集めたのは、1974年4月20日のこと。上野の東京国立博物館で開催された「モナ・リザ展」の公開初日、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に赤いスプレーを噴射したのだ。当時25歳だった彼女の名は、米津知子。私服警察官に取り押さえられて警察署へ向かう車内でクスクスと笑い、心の中で「ようやく、落とし前をつけた」とつぶやいた――。

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「ぼくの研究の中心にあるのは、社会の中で難しい立場に置かれている人が、自分の存在を社会に訴えかける行為の歴史や、困難さを考えることです。米津さんにはウーマン・リブや障害者運動の長いキャリアがあり、くだけた言い方をすると“レジェンド級”の人。皆さんから非常に信頼されている方だと思います」

 1948年に生まれた米津は、生後すぐに東京へ移った。3歳で感染したポリオの後遺症で右足が麻痺し、左足より7センチほど短く、障害者として他人の視線に囲まれながら育った。67年、大学闘争の季節を迎えていた多摩美術大学に入学すると、ウーマン・リブの活動へと参加していく。

「米津さんは、学生運動の中ではじめて、自分の右足について言葉にすることができたと言います。でも、同じ運動をする学生の間でも、依然として性によって立場が決められていることが気になっていく。男は女を〈選び〉〈与える〉側にいて、女は男に〈選ばれ〉〈与えられる〉側にいる。ウーマン・リブはそうした関係自体を疑って、女性が女性という性を自らのものとして生きることを目指したものでした」

荒井裕樹さん

 大学卒業後、米津さんは印刷会社に勤めながら、女性運動の仲間たちと共同生活をして闘いを続ける。そんな中、72年5月に優生保護法の改定案が国会に提出された。中絶の規制を強化しようとした内容をめぐり、ウーマン・リブに携わる女性たちは抗議運動を展開。しかし、障害者団体との衝突が起きた。

「日本では法律の体系上、産む産まないという選択において、女性の主体的な意思を尊重してこなかった。当時、自分たちで決めたいという女性たちがいた。一方で、この法案自体は障害児の出生を防止するためにつくられたものだから、障害者団体は『障害児を産まないという決定を母となる女性がするのか』と危機感を抱いた。米津さんは女性であり障害者であるという意識が強く、両者の間で連帯を模索しながら悩んでいました。そんな時に、モナ・リザ展の開催のニュースが流れてきたそうです」

 自分が“赤紫の紙”だとして、青い紙の上に置くと赤が目立ち、赤い紙の上だと青が目立ってしまい、どちらにもなりきれない……。米津さんは、荒井さんの取材でそう表現した。そんな複雑な葛藤を、「総体」として見せたかったという。

「米津さんの人生、経験の連なりを、簡単な因果関係にまとめられない物語として書きました。そうした割切れなさや片付けられなさと、時間をかけて向き合うことは、今だからこそ大事だと思っています」

あらいゆうき/1980年、東京都生まれ。二松学舎大学文学部准教授。専門は障害者文化論、日本近現代文学。著書に『差別されてる自覚はあるか――横田弘と青い芝の会「行動綱領」』、『まとまらない言葉を生きる』など。

凜として灯る

荒井 裕樹

現代書館

2022年6月21日 発売

「ようやく、落とし前をつけた」25歳の日本人女性は、なぜ「モナ・リザ」に赤いスプレーを噴射したのか

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