「私にとって言葉とは、自分や自分の考えを表現するための道具ではないんです。そもそも言葉は、人間よりも上位の存在。人間が言葉を使っているのではなく、むしろ人間のほうが言葉に仕えている、というふうに思っています」
歌人の川野芽生さんが、初めての小説集『無垢なる花たちのためのユートピア』を上梓した。
美しい言葉と幻想的な世界観で現代の女性が抱く違和感や生きづらさを詠む川野さん。昨年、第一歌集『Lilith(リリス)』で、現代歌人協会賞を受賞した。
〈わがウェルギリウスわれなり薔薇(さうび)とふ九重の地獄(Inferno)ひらけば〉〈うつくしき沓を履く罪 踊り出す脚なら伐れ、と斧を渡さる〉
今回の小説集は、そんな自身の短歌に通じる、幻想的な世界を舞台としている。
花の名前を与えられた少年たちが伝説の楽園を求め、空ゆく箱船で旅をする表題作。竜の血をひく人間が夢の中で書いた手紙が届く「白昼夢通信」。すべての住人が人形化した街で、唯一生き残った少女と彼女への愛に苦しむ初老の司祭を描いた「人形街」など。全6作を収めた。
しかし、「さすが歌人が書いた小説、言葉が美しい」と評されるのには抵抗もあるという。実は、川野さんが小説を書き始めたのは、短歌の世界に入るずっと前のことだったからだ。
「ものごころついた頃から物語を書いていました。紙を折ってホチキスで止めた“本”に、鉛筆でびっしりと。外に遊びにもいかず、友達も作らず、ひたすら言葉や物語と戯れている子ども時代でしたね。中高生では、文芸サークルに入って部誌に作品を掲載して。夢はもちろん小説家でした」
短歌を始めたのは東京大学に入ってから。歌会での合評が刺激的でのめりこんだ。さらに、「『定型』という、自分の外にある存在と“対話”するように歌を詠むことで、自分ひとりの意図を超えた作品が生まれてくる」のも魅力だった。
やがて大学4年生の時、小説への思いが再燃して執筆を再開。そして、念願の小説家デビューが実現した。
「短歌をやっていることで、語彙は増えたかもしれません。でも、文体や世界観は変わっていないんです」
そう言いつつ、今回書き下ろした中編小説「卒業の終わり」では、これまで経験したことのない苦労を味わった。
「卒業の終わり」は、外界から断絶された学園の中で暮らす少女たちの物語。他の5作に比べるとやや現実世界に近い設定で、主人公の心理描写にも多くの紙幅を割く。さらに物語後半で、学園を出た少女たちを待ち受ける過酷な運命には、強い反骨のメッセージも感じられる、本書の中でも一際異彩を放つ秀作だが……。
「書いている間は、不安で仕方がありませんでした。これ、本当に面白いの?と」
実際、第一稿を読んだ編集者の感想は、「なんだか物足りない。もっと刺してほしい。えぐりにきてほしい」だった。
言葉はあくまで美しく、トーンは淡々と抑制的なのが川野さんの文章の特徴。あえて読者の感情を揺さぶるような書き方はしてこなかったという自認もあった。
「でも、この作品を読者に届けるためには、それでは足りないんだと気づかされました。それから、また何度も推敲を重ねて。本当に大変でしたね」
川野さん曰く、「文学の役割は、言葉と刺し違える覚悟を持つこと」。つまり、全身全霊で言葉と向き合って対話し、ときに激しく格闘し、その末に出来上がる結晶――。これが川野さんの短歌であり、小説なのだ。
かわのめぐみ/1991年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科在学中。2017年、第3回創元ファンタジイ新人賞最終候補。一方、18年に第29回歌壇賞、21年に第一歌集『Lilith』で第65回現代歌人協会賞を受賞。歌人としても活躍中。