文春オンライン

2022/08/19

 移動で新幹線に乗ってトンネルに入ると、窓に自分が映るじゃないですか。そのたびに映った顔を見て「テレビに出たいっていう、小さい頃からの夢が叶ったの? これって、ほんま?」って、自分で自分に話しかけてました。 

「オネエは、ゴールデンタイムは無理」と言われていた

ーー疲れよりも嬉しさのほうが圧倒的に上回っていた。 

はるな 思い描いていた芸能のお仕事が現実のものとなったから、どれだけ寝不足でも楽しかったですし。

“エアあやや”で知ってもらえた頃って、オネエの方がゴールデンタイムに出ることってまだまだ少なかったんですよ。そういうなかで、『おネエ★MANS』(日本テレビ、2006~2009年)という土曜夕方の番組に出させていただいて。それで、おじいちゃん、おばあちゃん、子供も集まるお茶の間でも知られるようになりましたしね。 

 ほんと、いろんな局からものすごい数のオファーをいただいて。打ち合わせもなしにスタジオに行ってドアを開けたら『しゃべくり007』(日本テレビ、2008年〜)の本番だったとか、そんなスケジュール。 

 それまで水商売やオネエはゴールデンタイムは無理だと言われても「いや、絶対大丈夫」だと自分に言い聞かせていたから、それが現実になった喜びもすごく大きかったですね。 

 

ーーブレイク後は、忙しすぎてお店に立つのは難しかったですか? 

はるな もう出られなかったですね。お店のスタッフとは連絡を取っていて、ちょこっと顔は出したりしてました。有名になったことでお店に来てくれる方も大勢いて、てんてこまいだったみたいで。「お客さん、すっごくいっぱい来てくれてます!」とスタッフが教えてくれたので、「じゃあ、ちょっと帰りに顔出すね」といって、顔出して、お客さんと写真撮って、みたいな。せっかく来ていただいてるわけですからね。 

3ヶ月後くらいに「えっ、こんなにもらえるの?」

ーー非常に下世話な話ですが、テレビに出るようになると入ってくるお金の額も凄かったのでは。 

はるな ギャラの額を知るというか、使う時間すらなかったので、売れ出した頃はお金というものを意識しなかったですね。

 あと、テレビに出たらすぐにギャラが出るわけじゃないんですよ。ブレイクして3ヶ月後くらいに「えっ、こんなにもらえるの?」って驚いて、それからしばらくして新たに入ったギャラの額を見てさらに驚いて。どんどん増えていくのは感じましたね。 

ーー大阪時代も相当稼がれたとのことですが。 

はるな そうです。でも、それはショータイムで踊るお店の給料、あとはチップをいただいてという。テレビとは、またちょっと違うんですよね。