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〈8月15日ドラマ放送〉「お宅、焼けましたなあ」灰になってしまった家を前に、涙がぽとぽとと…作家・田辺聖子が記した、「空襲」と「家族」

『田辺聖子 十八歳の日の記録』より 前編

2022/08/14

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 歴史, 読書, 社会

note

至るところ、交通遮絶

 さて鶴橋からの城東線(※現在の環状線)も不通である。大阪まで歩かねばならぬ。勇を鼓して3人は歩きはじめた。爆弾による土煙とか、焼夷弾の煤(すす)などがまじった雨が降り、白いワイシャツなど、ほの黒い染みになって残る。

 至るところ、交通遮絶である。まず上六(うえろく)(※上本町6丁目の略称)まで出た。

 それからの地理には私は不案内であった。大館さんが一番くわしい。

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 湊町(みなとまち)へ通ずる道を歩いた。前の3月13日の空襲(※第一次大阪大空襲)で、ここらは一面の廃墟だ。このごろから、すでに、大阪方面の火災によって生じた黒煙がもうもうと天に込め、あたりは薄暗く、1時すぎだというのに、もう夕方のように、陰気である。ぼうっと赤いあたりには時折、ちろちろと紅蓮(ぐれん)の舌がひらめく。私は地理を知らないので皆に引っ張られて歩いた。

 次第に疲れる。足を引きずった。荷物が重い。煤が目に入って痛む。

 しまいに荷物は2人に持ってもらった。疲れたが、トラックには誰ものせてくれない。靴は水と泥でびしょびしょだ。

 私は機械的に歩いて、やっとの思いで梅田新道(うめだしんみち)に出た。

 ああああ何里歩いたろう。

 無我夢中の思いである。

 もう一歩もうごけぬ。

 梅田新道はものすごい。まだ炎々と燃えさかっている。真赤な火だ。

ひとり、絶望で叩きのめされて

 のどが痛く、目がしむ。第百生命は全滅だ。きれいに中が抜けている。閉じたガラス窓からプゥーと黒煙がふき出している。ざわめきながらとおる通行人は、それぞれの家が心配らしく目もくれない。わずかな荷物を持ち出して、呆然と立っている罹災者、ひっきりなしに通る消防署の自動車。

 そのまっただ中で私達3人は別れた。2人は郊外の家なのでこれから大阪駅へ行くという。私は疲れのあまり、顔が硬張(こわば)って、まんぞくに礼もいえず荷物を受けとり、しばらく休んで歩き出した。

 そのとき、私の心は絶望で叩きのめされていた。福島方面とおぼしい方角は真赤に燃え、黒煙は天に沖(ちゅう)し、カーンカーンと消防車が絶えまなく通る。自動車、トラック、通行人の中を、絶望にうちひしがれて私はとぼとぼとあるいた。でもまだ一縷(いちる)の希望は捨てずにいた。

大阪駅前(田辺家所蔵)

 桜橋のあたりは、火の海だ。あつくて、火の粉がふりかかって通れない。やっと消えたらしいやけあとにも、まだ余煙がぶすぶす立ちのぼり、鬼火のごとくちろちろと火が各所に燃えている。電柱が燃えきれず、さながら花火のごとく火花を散らしている。目がしゅんで(※大阪弁で「染みて」「沁みて」の意)、喉(のど)がヒリヒリしてやり切れぬ。遂に手拭を鞄から出して目にあて口をおおいして通った。熱気のため、かげろうのようなものがゆらゆらと焼けあとにこめている中を、人間の頭より大きい火花が、ゆらりゆらりと人魂の如く飛んでゆく恐ろしい光景は、一生忘れられないものだと思った。