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まずまず幸運とすべき

 ひとまず2階へ上った。なるほど、着るものは大分出してある。私の恐れた如く、美しいノートを7、8冊も入れた黒鞄のみはなかった。私は涙も涸れた思いだった。

 我々は三原さんという家の2階へ改めて引っ越した。

 その夜は蝋燭(ろうそく)の下で、罹災者にくばられたお握りを食べた。もちろん、電燈は不通である。学校へ行って寝んでもええことだけ、ましやと皆いいあった。

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 罹災直後はさほどでもないが、時がたつにつれあれも持ち出せばよかった、これも出せばよかったに、と、お母さんはくやみ、あげくのはてはトボけたように放心状態に陥って呆然として為すところを知らぬありさまだ。

「それでも皆、元気やったことが幸せやで。神崎みてみい」

 とお父さんは言った。

大阪城周辺(田辺家所蔵)

 前の神崎の散髪屋のおじさんは、爆弾の破片で手足を一本ずつ切断せねばならぬとのことである。

 焼夷弾は私の近所に落ち、河原田さんの一軒こちらから水野さんに至るまで、向いも天神様さえ焼けている。しかも5丁目には爆弾が落ち、即死者が2、3人出来た。

 まずまず幸運とすべきである。我々のように一家無事であったものは。

田辺聖子 十八歳の日の記録

田辺 聖子

文藝春秋

2021年12月3日 発売