「今まで、こんなこと一度もなかったのに……」
少なく見積もっても、ダンプカー数台分の土砂を取り除かなければ、水の流れを変えることもできないだろう。
無力感を感じながら、私は義母の車を運転し、街へ給油と買い出しに行くことにした。義両親は発災以来、一度も集落から外に出ていないという。国道上に流れ出す土砂、道路脇に撤去された大量の流木、そして崩れ落ちてしまった道路を見て、とても衝撃を受けていた。
「今まで、こんなこと一度もなかったのに……」
義母の言葉には、驚きと悲しみが入り混じっていた。山からの土砂に埋もれている家も、泥水に浸かっている家や店も、みな親交のある人たちのものだ。
義母によると、この地区が水害に見舞われたのは、江戸時代以来のことだという。
同じ町内に住み発災から4日が過ぎていたものの、被害の全容を全く知らなかったのだ。そして「こんな怖い道、脚が良くなっても私には運転できない」とも話した。これは実質的に孤立している状態。しかし、自らがそうした状況に置かれていることも知らなかった。
孤立した被災エリアには、驚くほど情報が入ってこない。東日本大震災の時、沿岸部で津波の被害に遭った友人は、自分の街だけが被害に遭ったと思っていた。豪雪被害で数日間、孤立状態になった友人は、自分が置かれている状況が分からず、それが一番不安だったという。救援が明日来るか、1週間後に来るか、もっと後になるか、全く分からなかった。食料や水も欲しいが、一番欲しいのは情報だったと話した。災害時に情報を積極的に届けることの重要性を、改めて認識した。
市街地では、今庄駅も浸水し、線路上には泥が溜まっていた。駅周辺では、民家は床上まで浸水し、多くの人たちが泥まみれになりながら、瓦礫と化した家財道具を運び出したり、泥を掃き出したりしている。
北陸本線の線路設備も大きな被害を受けていた。軌道敷の砕石が流出し、歪んだレールが宙に浮いている。じっとしているだけで汗が噴き出す炎天下で、懸命に復旧作業が行われていた。