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かつてなら社長らは株主総会で長時間にわたって吊し上げ

 別の元総会屋も、「三菱電機だけでなく多くの企業の不祥事などは、いずれも攻撃の対象になる。不祥事だけでなく、三菱電機の場合は株主総会で説明をせず隠蔽した。このような不手際も質問攻撃の格好の材料だ」と指摘する。

 かつての総会屋業界が盛んだった時代であれば、三菱電機だけでなく、不祥事を起こした企業の社長らは株主総会で長時間にわたってつるし上げられたはずだ。それを回避するには、カネで解決する裏取引を強いられたことだろう。

 長年、上場企業の株主総会の運営を担当してきた元総務担当者も、元総会屋と同様の考えを述べた。

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「どこでも臭いものにフタをして知らぬふりをするということはある。経営陣は自分たちが在任中には不祥事や不正行為を隠蔽し、身の保全のために問題を先送りして後任に責任を押し付ける」

廃業に追い込まれた山一証券に共通する隠蔽体質

 そのうえで、「かつての山一証券も同じように不祥事の先送りの末に破綻した」と同種の例を示した。

「山一証券」とは、かつて野村証券、大和証券、日興証券(当時)とともに「四大証券」の一角を占めていた、当時は誰もが知る大手証券会社だった。しかし、約2600億円もの巨額の簿外債務を隠し続けてきたことが、別件で総会屋の事件を家宅捜索していた東京地検特捜部によって明るみに出た。

 山一証券は1997年11月、自主廃業することを決定し、大蔵省(当時)に届け出る。その後、社長の野沢正平が記者会見し、テレビカメラを前に「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と絶叫。59歳の男が人目もはばからず号泣した様子は当時、国内だけでなく世界中のニュースで放送された。巨大証券会社が消滅し、約7500人の社員が路頭に迷うこととなる。野沢の号泣は、仕事を失う社員たちの先行きを案じてのことだった。

 多くの社長らはエリートコースである企画畑、管理畑を歩むのが通常だ。歴代の社長候補は簿外債務については極秘事項として情報を共有していたとみられるが、ドブ板活動で顧客に向き合う国内営業畑を歩んできた野沢は社長になるまでは簿外債務については知らされていなかった。

自主廃業発表の記者会見で質問に答えながら涙を見せる山一證券の野沢正平社長(1997年) ©共同通信社

 三菱電機の検査不正は行政指導の対象となるだろうが、違法行為として刑事責任を追及されるまでの不正ではないため、会社の消滅にまでは至らないだろう。だが、同じ体質から醸成された不祥事であると言えそうだ。