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 だが、1年遅れて入学したため同級生とは年齢も違う。学校にはどうしてもなじむことができずアルバイトに没頭した。当時は、ファストフード店とジーンズショップでバイトをしていた彼女は、接客業が肌にあっていたのか、働くのが楽しくなり、次第に定時制高校からは足が遠のいていった。自立と並行するように、父親との関係は、悪化の一途をたどっていた。

「バイト代は父親に全部取られてましたね。『預けろ』といって、通帳も押さえられていた。だから反抗して、家には帰っていなかった。“非行に走った”じゃないですけど、同じように、学校に行っていないセンパイとかとツルんで、毎日、ゲーセンとか、カラオケとかでフラフラしてた」

 深夜になって店が閉まれば、福井駅の周辺やショッピングセンターのあたりを、ただただ、ひたすら歩いて車を持っている先輩をつかまえては、朝まで遊んだ。

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 そんな生活を見かねた父とは、常に衝突していた。そしてある日、ボストンバックひとつと、なけなしの全財産である4万円を持ち、何も考えずに東京行きの夜行バスに飛び乗ったという。

 家出までして飛び込んだ、父の実家は、あおいさんにとって“安住の地”とはならなかったのだ。

「何もかもが嫌になったんですよね。家もふくめ、その頃の、何もかも。全部が嫌になった。その頃、東京にネット友達みたいな男の子がいて、その子に『お前は勇気がないんだよ。そんなに嫌なら東京にでてくればいいいじゃん』と煽られて、衝動的に家を出たんです」

「え、本当に来たの……」


 家出を煽ったネット友達とは、「すかちゃ」こと「スカイプちゃんねる掲示板」で出会った。スカイプを利用した通話友達や、チャット友達を探す掲示板だ。

 あおいさんには中学時代の相談室登校の頃から、自殺願望があった。衝動的にリストカットをしてしまうこともあったというあおいさんは、ネットで自分と同じように「自殺したい」子たちを探すようになる。伝言板に貼られたメッセージを見て、“仲間”を捜し、死にたいという心情を吐露し合ったり、暇つぶしのようなおしゃべりをしていたという。

 そんな友人の煽りを信じて、単身、東京に乗りこんだあおいさんだが、いざ来てみると友人は「え、本当に来たの……」と、まさか、決行するとは思っていなかったのであろう、ドン引きして、「いや、ちょっとムリだから」と、あおいさんを拒絶した。あおいさんは、16歳にしてひとり、横浜の街に放り出されることとなったのだ。

 所持金も覚束ない家出少女が夜の街に取り残されたら、できることは限られている。あおいさんは、当時流行していた「家出少女神待ちサイト」(※主に10代を中心とした家出中の少女が、寝泊まりする場所や、食事や金銭を援助してくれる“神”=男性を探す出会い系サイト)を利用して数日をしのいだ。