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 あおいさんは、それまで身を寄せていた伯父夫妻の自宅がある伊豆から実父が住む熱海まで、ひたすら、自転車を漕いだ。半日をかけ、久々に再会した父に、娘は、これまでのことを話した。それを聞いた父親は音信不通だった母親を探し当てて裁判を起こし、彼女の親権を獲得。福井県で父と暮らすこととなる。

 父親の実家は福井県の旧家で、敷地内には畑に、竹藪に、作業場、それに車6台がおけるほどの駐車場がある、大きな家だった。庭には金木犀(きん もく せい)の木がたくさん植えられ、9月になると甘い芳香を放っていたことを覚えているという。

「のくてえやつ!」と祖父から暴力をふるわれることも

 それまで住んでいた伯父夫妻宅とはうってかわり、切妻屋根に漆喰壁の福井の伝統的民家は広すぎて、豪華な仏壇がある仏間も、男女別に作られた薄暗いお手洗いも、幼い彼女にはちょっと怖いものだったという。そのうえ父方の祖母は、すでに離婚して家を出ていた。

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 広大な旧家は、庭の手入れもなされず、仏間以外はすべてゴミで覆われた“ゴミ屋敷”となっていた。あおいさんは、母方の祖母の家に続き、また、ゴミに埋もれたこの家で、鍼灸院を営む父と、米作農家の祖父の3人での暮らしをスタートさせた。

 新生活も決して穏やかなものではなかった。

「おじいちゃんが、めちゃくちゃ気性が荒い人だった。よその大人の前では“いい顔”をしているのですが、通常は超ハードモード。とにかくすぐに手をあげる。友達が家に遊びに来ていてもかまわず『のくてえ(のろい、バカな)やつ!』と手をあげられたこともありました」

 理由は、今となってはなにがきっかけだったのかも思い出せないほどの、ささいなことだったという。あおいさんは、いきなり友人の目の前で祖父に殴られて吹っ飛び、ぶつかった障子はバキバキに大破した。

 学校も、彼女にとっての「居場所」とはならなかった。あおいさんは、小学生の頃からことあるごとに「都会から来た」「都会風を吹かせてる」と、いじめの対象となった。

「中学は校則が厳しく、生徒たちが相互に監視しているような、ゆとりのない学校でした。うちは男家系で、父も祖父もたばこを吸うから、私の制服には臭いがついてしまって『鈴木はたばこを吸ってる』『不良だ』『やっぱ都会もんはあかん』と糾弾され、またいじめられました」

 いつしか、学校から足が遠のき、中学2年生の時には相談室登校、中3のときは、すでに、まったく学校にいかなくなったという。

 それでも高校には進学した。

「最初に入学した高校は私立だったんですけど、学費が高額だったから、父親が“お金がない”といって、払ってくれなくて。入って半年で辞めることになりました。別に高校には行かなくてもいいと思っていたのですが、中学の時の学年主任の先生が、私を心配してくれて『定時制高校に行かないか』と勧めてくれた。最初はめんどくさかったんですけど、そんなに言うなら、と、1年遅れで定時に行きました」