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 でも私は私で、スタジオに入って重い扉が閉まってしまうと、私たち声優だけの世界に入っていきます。いくら子供のことが気になっても、大げさに言えば、もうどうすることもできないという。だけど、そういう環境に身を置くことで、「母でも妻でもない私」を取り戻せる部分もちょっとはあったりする。やっぱり、仕事をすることが自分の気持ちを維持するエネルギーにはなっていたんですよね。けれども、両立というジレンマで疲れもたまっていって。

先輩の声優さんが「つわり、つらいよね。私も大変だったのよ」

――育児中も大変ですけど、妊娠中も相当にヘビーだったのではないですか。

日髙 つわりはきつかったですね。電車で仕事に向かう途中で気分が悪くなって「今日はスタジオにたどり着けないんじゃないか……」と思ったら、ジューススタンドのある駅で降りてレモンジュースをちょっと飲んで。そうすると少し復活するので、よくレモンジュースを飲んでいました。

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 でもスタジオに行けば、先輩の声優さんたちが「つわり、つらいよね。私も大変だったのよ」と言って支えてくださったので、心強かったです。

――『超時空騎団サザンクロス』(TBS、1984年)で声優デビューされてからは38年、今年で還暦の節目を迎えられました。さまざまなタイミングで心身の変化があったと思いますが、どうやって向き合ってこられたのかなと。

日髙 さっきも話しましたけど、ワーッとテンション高く遊んだ後で熱を出すような子供だったので、母いわく「元気なようであまり体力はない」と。でも声優業界の中では、私のことを「元気が有り余っている」と思っている方のほうが多いんじゃないかな(笑)。母からは「出産を考えているのなら、体をまず丈夫にしておきなさい」とアドバイスをもらっていました。それ以来、食べるものに気をつけたり、アロマテラピーのようなリラックスできるものにハマったり。その時々でメンタルや健康を維持するものに出会ったり、勉強したりはしてきましたね。

心身の変化にどう向き合ってきたか

 

――トレーニングは何かされていますか? ランニングとか。

日髙 週に1回ジムに行くのは、自分の中で習慣にしています。体力だけはつけなくてはと思っているんですけど、ランニングは嫌いなんですよ(笑)。昔、『おはよう!サンデー』(日本テレビ、1980~1987年)でマラソンのお姉さんをしていたんですけど、実はあんまり走るのが好きじゃなくて。

――そうですよね。番組では皇居1周、約5キロを走って。

日髙 出場者のお子さんから挑戦状をもらって、一緒に走るんですよ。コント赤信号さんの3人と私の4人が交替で走るから、月に1回順番が回ってくるんですね。仕事だから頑張れたところがありますけれども、スタート地点に立つとため息が出るというか(笑)。

――ジムでは筋トレでしょうか。

日髙 そうなんですけど、楽にできて、知らぬ間に体力がつく方法をチョイスしています(笑)。私の父は洋服の仕立て屋で、さらに空手の先生もやっていて「健全な魂は健全な肉体に宿る」を地でゆく人だったんです。家が千代田区で皇居が近かったこともあり、子供の頃は父の方針で毎週日曜日に皇居を1周走ったり、うさぎ跳びをやったり。そういう地道なトレーニングの成果もあって『おはよう!サンデー』でも走れたんじゃないかって思います。