「ジュリアナブームの顔」、「お立ち台の女王」。

 そう呼ばれた“荒木師匠”こと荒木久美子さんは、日本のバブル時代を、もっともよく知る人物の一人だろう。現在、彼女は男女の恋愛をサポートする婚活トレーナーとして活動する。なぜ「お立ち台の女王」は、黒子になろうと思ったのか?

「大人としてやるべき宿題をバックレて一生生きていこうと思ったけどダメだった」

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 ジュリアナ時代の狂騒、離婚から得た学び、令和の婚活事情――。ブイブイ、語ってもらった。(全2回の1回目/後編に続く

©文藝春秋

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――「バブル」と言っても、実は80年代と90年代ではファッション性が違うんですよね?

荒木 ちょっと違います。たとえば、平野ノラさんはバブルキャラとして有名だけど、あれは80年代のバブル。ワンレン(段の入っていないロングヘア)、肩パット入りのスーツで、『ジュンコシマダ』や『ピンキー&ダイアン』といったDCブランドで身を包む感じですね。

 一方、90年代バブルは、ソバージュヘアでトサカ前髪、派手なボディコンスーツを着るといったファッション。世間から見ると、もはや80年代と90年代のバブルって一緒のように思われるけど、私は90年代バブルの人なんですよ。

 80年代バブルのお姉さんたちを見て、「すごいな」なんて思っていたから、『ピンキー&ダイアン』とか『ノーべスパジオ』の服を買ったんだけど、当時は8万円くらいする。バブルだから毎年1万円ずつぐらい価格が上がっていたと思うんだけど、無理してマルイのローンで買って、食事はカップラーメンで済ます……そういう見栄を張るのが良しとされた時代でしたね。

「ジュリアナの女王」の異名を持つ荒木さん(本人提供)

――80年代バブルファッションが90年代バブルファッションに移行していく背景って何だったのでしょう?

荒木 19歳とか20歳のとき、私は当時イベントコンパニオンをやっていたんだけど、そのときはもうトサカ前髪をしていた。おそらく、芸能人の影響なんじゃないかな。90年前後って、Wink(ウィンク)さん、森高千里さん、千堂あきほさんが人気だったから、そういった影響でトサカ前髪、ソバージュヘアが流行っていったんだと思う。

ジュリアナのVIPにいた「あやしいお金持ち」

――ディスコ『ジュリアナ東京』は、1991年5月にオープンして1994年に閉館します。バブル景気は、1991年2月までとされていますから、アフターバブルにジュリアナブームは沸き起こったということですよね?

荒木 そうですね。でも、ジュリアナのVIPには、まだあやしいお金持ちがいましたよ(笑)。あの頃は、何をしているかわからないけどお金だけは持っている“バブル紳士”と呼ばれるオジサンたちがいて、自分の車のトランクに『エルメス』のバーキンを詰め込んで、気に入った女性がいたら手あたり次第プレゼントするなんて人もいましたね。