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経営の神様・松下幸之助が綴った「生活費さえ借り歩いた」ドン底の日々とは(後編)

経営の神様・松下幸之助が綴った「生活費さえ借り歩いた」ドン底の日々とは(後編)

「日本人の素質は、本来すぐれている」戦後世代へのメッセージ

2018/07/19

source : 文藝春秋 1965年4月号

genre : ビジネス, 企業, 経済, マネー, 歴史

note

なぜ日本がこんな結末を迎えることになったのか

 終戦後私は、世の推移を見ながら次のように考えた。すなわち、戦争に負けたことは負けたで仕方がないが、しかし戦争がすんだら直ちに反省して、もう一ぺん改めて建直すためにみんな活動すべきである。活動するためにみんなが協力すべきである、ところが現状はすこしもそうでない、むしろ逆のような方向に進みつつある。こんなおかしな世の中はない、進駐軍のほかに日本政府みずから出している法令があるが、このなかには、例えばいくら働いてもみんな税金でとり上げてしまうというような全くバカげた税制もある。これでは働こうにも働く意欲すらわいてこないではないか。果してこれが正しい姿なのだろうかという疑問も一つには持ったのである。

 そこで私は、どういうわけで日本がこういう結末になったのか、一体人間の本来の在り方というのはどういうところにあるのか、ということを私なりに考えてみたいと思った。

 私はこのために、あちこちと講演にまわった。大学の教授の方がたを前に話をしたことも何度かあったし、本願寺のエライお坊さんたちに2時間余りも逆説法をしたこともある。また裁判所へ行ってたくさんの判事さんを前に一席ブッたこともあった。

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©文藝春秋

 今まで講演らしい講演もしたことのない一介の電器屋が、よくあんなことがやれたものだと、今考えれば冷汗の出る思いだが、当時は、こんな世の中でよいのかという気が強かったから、平気でどこにでも出かけて話をした。

 何れにしても、こうして人間の本質というか、今まで思索もしなかった面に眼を向けて、多少とも人間の在り方というものを考え直す機会を得たのであるが、こうしたいわば人間探求へのねがいは、今日もなお失せていない。

 さて話を前に戻して、前述の通り24年末には、会社はまさに崩壊寸前におちいってしまった。しかしこの間もなお、前記の残った6つの制約について、GHQや政府に一つ一つ克明に説明に行き、粘り強く解除のための活動をつづけていた。

 おかげで、賠償指定の方も、工場毎に一つ一つとけてゆき、24年に入ってからは、まず集中排除法の指定がとけ、つづいて年末には宿願の財閥指定もやっとの思いで解除されたのであった。

一にも仕事、二にも仕事

 5年間にわたる苦闘で、会社はすでに満身創痍になっていたが、ようやくにして情勢が好転してきた。そして25年の7月ごろまでには、会社も私個人も、ほとんど自由な立場において、自由な経済活動がゆるされるようになった。

 いよいよ青天白日の身になったのである。思えば長い拘束の身であったが、私はこの時ほど自由に働けることのありがたさが身にしみたことはない。いよいよこれで真の再建に入れるのだ、崩れかけたこの会社を何としてもたて直そう、と私は深く決意した。

 そこでその年の7月17日、私は幹部諸君を一堂に集めて、次のように声明した。「みなさんは、会社の前途不安ななかで、よくもここまで辛抱して下さった。本当に感謝にたえない。しかし、いよいよ時節が到来した。これからは何らの制限も受けずに活動できるようになった。過去のことを思い出せば限りもないけれど、今は一切これを考えず、まず再建の第一歩を踏み出すのだ。私としても今までは失意の連続で、まことにみなさんにも申しわけなかった。深くおわびする。これからは一にも仕事、二にも仕事で、仕事に専念する覚悟である」

 こう訴えて、私は直ちに行動を開始した。生産態勢を早急に整えるとともに、翌26年1月には、私は生まれて始めてアメリカに飛び立った。世界に知識を求めなければならぬと思ったからである。