本書中、ロケット・ササキこと佐々木正の真骨頂を、最もビビッドに現わすシーンはこれだろう。

「シャープの社員たちは、朝一番から佐々木の部屋の前に列をなし、アドバイスを求めた」

 このシーンは、別のこのシーンと対になる。

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「(部下たちが)何か問題に突き当たると、佐々木は必ず解を与えてくれるのだ。『ああそれなら、三菱電機に頼みなさい。僕から電話をしておいてあげよう』『それは(中略)RCAに聞くのが早い。向こうが朝になったら電話しよう』」

 そしてこのシーンの所以はこう解説される。

「全ては人脈のなせる技だった。ベル研究所のショックレー(中略)から始まったアメリカの人脈は半導体、エレクトロニクス業界全体に及んでいた」

 佐々木はなぜこれほどの人脈を持っていたのか?

 彼はシャープに入る前に様々な組織に所属し、多くの国を飛び歩いている。

 台湾で育ち、京大で弱電を学び、ドイツに短期留学し、逓信省に入省したが、川西機械製作所で働くこととなり、ひょんなことから、なんとインドやアフリカで反物を売るはめとなった。

 この波乱万丈の経験と持ち前の懐の広さで、膨大な人脈を築いたのだ。

 驚くべきはソフトバンクの孫正義、アップルのスティーブ・ジョブズらの駆け出し時代、気前よく応援して、今日の大成功のスタートを切らせてあげたことが、神話ではなく実録として残されている。

 川西機械製作所時代もシャープに移って産業機器事業部長となってからも、佐々木はいつもいわば電子立国日本の中心にいた。

 たとえばトランジスタの開発。正史ではほとんどソニーの独壇場であったと記録されるが、どっこい佐々木のいた川西機械製作所が量産に最初に成功している。あの江崎玲於奈(れおな)も佐々木が採用しトランジスタ開発をさせていたのを、ソニーが引き抜いたのだ。

 佐々木が陣頭指揮をとった最もドラマチックな開発戦争は「電卓」である。

 大手は手を出さず、正面の敵は「カシオ」。値段と大きさの競争となった。当初の製品は五三万円強。

「五〇万円を切れば買いやすいんですがね」という顧客の声に押され、佐々木は人脈を軸とする全知全能を傾ける。

 通産省から予算を取り、米国メーカーに部品を作らせ、ついに一〇万円を切り、“電卓一人一台時代”を開いたのである。

 経済大国日本の黎明期には、まだ正史が光を当てていない感動のドラマがあちこちにあるに違いない。

おおにしやすゆき/1965年生まれ。88年早稲田大学法学部卒業後、日本経済新聞社入社。産業部記者、欧州総局(ロンドン駐在)、編集委員などを経て、2016年に独立。著書に『稲盛和夫 最後の闘い』『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』などがある。

えばとてつお/1946年東京都生まれ。小説家。著書に『ジャパン・プライド』『会社葬送 山一證券最後の株主総会』などがある。