歴史学習で取り上げられる女性は、どうしてこんなに少ないのだろう……。作家の篠綾子さんは、子どもの頃にそんな疑問を抱いたという。
現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)に登場する北条政子のように、歴史上の女性たちは決して活躍していないわけではない。
ここでは、篠さんが“心をこじらせた”33人の女性たちについて書いた『歴史をこじらせた女たち』より一部を抜粋。禁断の恋に身を投じた「軽大娘」について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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衣通姫(そとおりひめ)とは『古事記』に登場する、ある女性の呼び名、通称です。その容色の美しさが「衣を通して」光り輝くような姫君だったとか。おそらく、かぐや姫顔負けの美しさだったのでしょう。
まさに『古事記』を代表するヒロインで、その人生はたとえるなら、日本版『ロミオとジュリエット』。
しかし、彼女の物語はシェークスピアの悲劇ほど知られていませんし、その知名度は、同じく『古事記』に登場する英雄ヤマトタケルに遠くおよばないでしょう。
その理由は、時代が古すぎて実在すら疑わしいという事情もあるでしょうが、彼女の犯したタブーとも関わりがあるかもしれません。
彼女はいったいどんな罪を犯したのか。
まずは彼女の出自から見ていきます。
母を同じくする兄と禁断の恋
彼女は允恭(いんぎょう)天皇の皇女で、名を軽大娘(かるのおおいらつめ)といいました。允恭天皇とは仁徳天皇の皇子の一人で、生母は嫉妬深いあの磐之媛。つまり、軽大娘は磐之媛から見て、孫娘ということになります。
允恭天皇の第一皇子は木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)といい、その後継者として、皇太子に立てられていました。軽大娘にとっては、同母の兄に当たります。
異母兄弟姉妹(いぼきょうだい)間の婚姻はふつうの時代ですが、母を同じくする兄弟姉妹と通じるのはタブーとされていました。にもかかわらず、この木梨軽皇子と軽大娘は惹かれ合い、禁断の恋に落ちてしまうのです。