1990年代後半~2000年代前半にかけて、渋谷センター街などに数多く出現した「ギャル」。しかし最近は、金髪で肌を焼いている「ガングロギャル」や、パンダのように目の周りを黒く塗る「ヤマンバギャル」などの派手なギャルたちは、ほとんど姿を見せなくなった。
そんな中、今でも「ヤマンバギャル」を自称するのが、福岡県北九州市に住むデザイナーのうぬさん(38)である。今回、うぬさんに「ヤマンバギャル」に目覚めたきっかけや、派手で人目を引くメイクやファッションを続けてきた中で感じた偏見、ギャルメイクに対する夫や会社からの反応などについて話を聞いた。(全2回の2回目/前編を読む)
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意外とすぐに受け入れてくれた夫
――最近は、街でジロジロ見られることにも慣れたとおっしゃっていましたが、周りの視線は全く気にならないですか。
うぬ 気にならないというか、私のほうが道行く人の顔を見ないくせがついているんです。自然と、体がすれ違う人の顔を見ないように体が動いて。これまで、人から見られることで辛い思いをしてきたので、勝手に回避しているんですよね。
逆に、夫の方がどう見られているかを気にしています。私が周りを見ていない分、夫が余計に周りの視線を感じているようで。「さっきの人すごく見ていたよ」「俺はもう耐えられない」とか。悪いことをしているわけではないんですけど、そう錯覚してしまうくらい、ジロジロ見られているみたいで。夫にとっては大変だと思います。
――うぬさんは結婚してから「ヤマンバギャル」になったそうですが、お相手の最初の反応はいかがでしたか。
うぬ 最初はビックリしてましたね。いきなり私が180度変わったわけですから。夫とは10代の頃から付き合っているので、ロリータファッションの私も、化粧っ気のない私も全部見てきていて。そんな私が突然ギャルに、しかもド派手な「ヤマンバギャル」になったので、理解が追いついていなかったですね。
でも、意外とすぐに「スッピンの方が好きだけど、この格好が好きだったらいいんじゃない」と言ってくれて。肯定してくれたわけではないですけど受け入れてくれたので、夫には感謝しています。知り合いから「ちょっと待って。誰……」という感じで驚かれたことはありましたが、みんな受け入れてくれましたね。
――うぬさんのご両親の反応はいかがでしたか。
うぬ 母は、私が何言われても自分の考えを貫くことを知っているので、特に何か言ってくることはなかったですね。「あんた何言っても聞かないもんね」って感じで、否定されることもなく。
父は、ロリータファッションをしていた時に、一度だけ駅でばったり会ったことがあって。「パパ~」って近づいたら、小声で「パパって言うんじゃない」って言われて。まあ、そんな感じですかね。でも、家族みんな否定はしないです。やりたいことをやればいいんじゃないって。運良く私は家族や親しい人に受け入れてもらえましたけど、もし否定されていたら、たとえ家族でも縁を切っていたと思いますね。
――ちなみにうぬさんは、現在デザイナーとして会社員をしているということですが、髪色などは会社的にOKなのでしょうか。