当時はスクール水着しか着たことがないような“イモ姉ちゃん”だった
でも確かに、当時の私はほかの子と比べると、色気もへったくれもなかったんですよね。自分の胸が大きいという意識もなかったし、スクール水着しか着たことがないような“イモ姉ちゃん”だったので、野田のお眼鏡にかなわなかったのだと思いました。
――しかしそこから、イエローキャブでデビューすることになります。
山田 しばらく経って、野田が自宅に電話をかけてきたんです。電話を取った父親から「おまえ、六本木に呼ばれてるぞ」と言われて、しかも「水着を持ってこい」とも伝えられたんですよ。「えー?」と思ったんですけど、とりあえず行ってみようと。
当時、自宅の最寄り駅が日比谷線に乗り入れている竹ノ塚駅だったから、竹ノ塚のイトーヨーカドーで水着を買って、六本木まで地下鉄で行きました。
六本木に着いたら、車に乗った野田が待ち合わせ場所に現れて。そこから、老舗のスタジオまで車で連れていかれたんです。スタジオに着くと、ビキニがズラッと並べられていました。
私が持って行った水着を出したら、野田に「なんだその色気のない水着は。ここにあるのを着ろ」って言われてしまって、「えー、無理、無理、無理!」みたいな感じでしたね。
――野田社長の豪放磊落なイメージ、そのままですね。
山田 スタジオに行く車の中でも、「お前、彼氏はいるのか?」とか根掘り葉掘り聞いてくるわけですよ、まだ14~5歳の女の子に。今でいうと確実にセクハラですよね。
でも、野田は「おまえが芸能界に入ったときに、俺のほうがおまえの親より長く一緒に過ごすことになる。それにもし、おまえの恋愛沙汰が週刊誌に載ったら、守るのは俺の役目だ。10代の子を預かるというのは、それくらいの責任がある。だから何でも聞いておく必要があるんだよ」って、コワモテなのに真っ当なことを言うんです。
だから信頼して、そのときは「じゃあ、わかりました。彼氏はいます」と答えました。そしたら野田が、「ホテル代はどっちが払ってるんだ?」とか聞いてきたんです。「いやいやいや、まだです」みたいな感じですよ。でもね、そういう物言いも含めて、野田は大きな愛情を持って接してくれました。
――当時のイエローキャブは、グラビアで大活躍している人ばかりでした。
山田 当時は「イエローキャブといえばグラビア」という感じでしたね。私が入ったときはすでに、雛形あきこさん、かとうれいこさん、細川ふみえさん、木内あきらさんたちが大活躍していました。
――デビューするとき、水着への抵抗感はなかったのですか。