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当初は水着グラビアに嫌悪感があったが……

山田 それまで「女を武器にする」みたいなことを人生で考えたことがありませんでした。当時は思春期だったのもあって、水着グラビアというものに嫌悪感もありました。正直、「男の人のために体を見せてお金を稼ぐなんて、汚らわしい」くらいに思っていましたね。

 でもスタジオで水着を着る前には、野田がグラビア撮影についてきちんと説明してくれたんです。

「まずはグラビアでおまえの顔と名前を世間に覚えてもらう。でも、どんなエロ雑誌に載ろうとも、うちの事務所はおまえを脱がすことはない。ほかの事務所は水着を脱がしていくけど、うちは逆だ。最初は水着を着るけど、そこから服を着せていく」って。

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山田まりやさんのグラビア

 初めて雑誌のグラビア撮影をしたときは、グラビアのポーズを取ったこともない私に対して、スタッフさんたちがとても優しくしてくれました。「まりちゃん、そこに手をついて。こっちを見て、ニコッとして」とアドバイスしてくれたり、「寒いでしょ」と言ってバスローブやベンチコートを掛けてくれたりしたんです。過激な撮影とかもなかったので、私が最初に思っていたグラビア撮影のイメージとは全然違いました。

デビュー直後に“ミスマガ”グランプリ受賞

――山田さんは、デビュー直後からご活躍されているイメージです。

山田 私はスタートダッシュが早かったんですよ。デビューしてすぐに、雛形あきこさんのバーターでいろいろなお仕事を頂けるようになって。イエローキャブに入って2~3ヶ月後には、サイパンで撮影したりしていました。

 そうこうしているうちに、1996年の第1回ミスヤングマガジングランプリ受賞が決まったんです。そして同年には、フジテレビのビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤーにも選ばれました。

――バラエティやドラマにも活躍の場を広げていきますよね。

山田 96年に円谷プロダクション制作の深夜ドラマ『ムーンスパイラル』(日本テレビ系)への出演が決まって、それが初めてのドラマ出演でした。

 その撮影が始まるとき、野田から「寝坊して撮影に迷惑をかけないように、旧知のカメラマンの山岸伸さんが持っているマンションに引っ越せ」と言われたんですよ。そのマンションには、細川ふみえさんを始め、何人かのタレントが住んでいたんです。

 そのときに、「今しかない!」と思って、母親と弟も一緒に住まわせてもらうよう、野田にお願いしました。そしたら、「いいよ」と言ってくれて。母親と弟には“昼逃げ”みたいな形で、父親がいないタイミングを見計らって実家から逃げて来てもらいました。

 そこからは、私が母と弟を養うために、芸能界でめちゃくちゃ忙しい日々を過ごしながら、お金を稼いでいきましたね。

写真提供=山田まりやさん