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嵐・二宮和也が後輩3人を束ねるフシギさ…24時間テレビについて語っていたこと「いい子になりすぎていた」

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2022/08/31
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 脚本の丸暗記をほとんど必要とせず、現場で生成する演技で名監督を納得させるその伝説の一方で、片時も携帯ゲームを離さず、服にも食にも興味を示さないという変人ぶりとのギャップは、まるで二宮和也自身が映画で描かれる孤高の「ギフテッド」や「サヴァン」のようにも見える。

独立予想も根強いが…

 だが個人として高く評価される一方で、二宮和也は嵐というグループにとどまり続けた。『TANG』の撮影自体も、嵐の活動休止までの時間を大切にするためにクランクインを丸1年伸ばしてもらったとインタビューで語っている。だがおそらく彼は、はるか昔からグループ活動と俳優活動のジレンマに苦しみ、満員のスタジアムコンサートに嵐のメンバーとして立つ夜と引き換えに、俳優としてのチャンスを何度となく犠牲にしてきたはずだ。

 そしてその綱渡りのような両立は『TANG』の地下室ロケ中に、時間を見ては電波の届く地上に階段で登って、後輩たちとのYoutube動画をスマホで加工し、また地下に戻って撮影したと語る、嵐活動休止後の今も変わらない。

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 強烈なドリブルで敵陣に切り込む個人技の二宮和也と、全体を見渡して仲間にパスを回す二宮和也。それはどちらも彼の両面なのかもしれない。幼児のような人工知能と青年の交流を描いた『TANG』という映画で例えるなら、ある場面では二宮和也がサヴァンのように不適応なTANGであり、別の場面では二宮和也にとって、周りのすべての人間が愛すべき小さなTANGなのかもしれない。健とTANG、その両方を巧みに演じ分けつつ、二人の心が交わる瞬間をスクリーンに表現する二宮和也をスクリーンで見ながら、そんなことも考えていた。

©文藝春秋

 嵐の活動休止によって、二宮和也は個人としての俳優活動を本格化させるのではないか、という見方は強い。独立予想も根強くある。これまで嵐というグループを支えてきたように後輩たちを支え、俳優活動と両立するのか、それとも今の彼がしている後輩のサポートは、仲間と後輩たちへの「置き土産」なのか。だがいずれにせよ、二宮和也という俳優の活動がより大きく広がることは間違いない。

 演技とは不思議なものだ。外国から集めた英語を話すエキストラであっても、上手い俳優と下手な俳優の差はその声を聞くだけで歴然と分かる。二宮和也の少年のような風貌(日本人から見てさえ、彼の39歳という年齢を知らずに当てられる人は多くないだろう)、背中を丸めてふらふらと歩きながら、目には強烈な光とエゴを持つキャラクターは、ハリウッドがイメージする「アジア系ギーク」のイメージにぴったりと適合する。「ニノ」という、英語でもフランス語でもイタリア語でも、そして中国語でも発音しやすい愛称を、世界の映画ファンが記憶する日が来るのかもしれない。

「でもまあ、日本からも二宮和也みたいに、海外で成功する俳優も増えてきたよね?」そう言いながら、彼の名前を議論のテーブルに乗せる日も、遠くはないかもしれないのだ。

嵐・二宮和也が後輩3人を束ねるフシギさ…24時間テレビについて語っていたこと「いい子になりすぎていた」

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