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オッペンハイムによる《最善の貯金箱は、戦時公債!》は、モノカラーではあったものの、1921年に朝日新聞社が刊行した、『大戦ポスター集』にも掲載があることから、大戦ポスターの中では比較的よく知られていた。
このため、本作は1941年の《興亜聖戦下第四年の廃品回収 強化は護国の資源!》に、それほど意味内容も改変されることなく翻案とされた。戦前期の日本人図案家は、全般的にプロパガンダ・ポスターの製作経験が乏しく、それが何たるかについても、知識を十分に持ち得ていなかった。
しかし、戦時期にはそうした需要が高まり、彼らが活用したのが前述した同書であり、掲載された図版は製作国やその目的を問わず、幅広く翻案とされた。
超有名図案家が製作したプロパガンダ・ポスター
戦後の混乱期に病没した岸信男は、今日ではほとんど知る人のいない図案家である。しかし、岸ほど戦時期に数多くのプロパガンダ・ポスターを世に出した人物もおらず、モスカによる《カレンダーの絵》から着想を得た、1941年の《興亜の貯蓄は保険から》もその1つである。
この時代の生命保険への加入と掛け金の払い込みは、戦費調達のための貯蓄奨励運動の一環と見なされ、奨励されていた関係から、各社とも広告活動を積極的に展開した。このため、本作の依頼主である業界団体・生命保険会社協会も、1939年以降は自らポスターを製作し、運動を盛り上げた。
子供を主題にしつつも、当時の政治的・軍事的状況が巧みに視覚化されている。